森脇ひさきのプロフィール

・1962年12月 奈良県生まれ
・1981年 3月 奈良県立五條高校卒業
・1985年 3月 岡山理科大学理学部応用科学化環境科学専攻卒業
・1987年 3月 岡山大学大学院理学研究科化学専攻(修士課程)修了
・1993年 3月 同 自然科学研究科物質科学専攻(博士課程)単位取得
・学生時代から障害者福祉関係のボランティア活動、自然を守る活動に取り組む
    岡山肢体障害者の会事務局長、
    第23回中国四国ブロックボランティア研究集会実行委員長 
    岡山の緑と水と空気を守る連絡会事務局員などを歴任
・1993年 4月 日本共産党岡山地区委員会常任委員
・1996年10月 衆議院議員選挙(岡山1区)に立候補
・1999年 4月 県議会議員選挙(岡山市1区)に立候補
・2000年 6月 衆議院議員選挙(比例代表中国ブロック)に立候補
・2000年12月 日本共産党岡山県委員会常任委員
・2001年 7月 参議院議員選挙(岡山選挙区)に立候補
・2003年 4月 県議会議員選挙(岡山市1区)に立候補、当選
    1〜2年目 生活環境保健福祉委員会、決算特別委員会に所属
    3〜4年目 文教委員会、次世代育成・男女共同参画特別委員会に所属
・2007年 4月 県議会議員選挙(岡山市1区・加賀郡)に立候補、2選
    1〜2年目 生活環境保健福祉委員会、決算特別委員会に所属
    3〜4年目 文教委員会、行財政改革・道州制特別委員会に所属
・2011年 4月 県議会議員選挙(岡山市北区・加賀郡)に立候補、3選
           日本共産党岡山県議会議員団長、議会運営委員会(オブザーバー)
    1〜2年目 文教委員会、防災・環境対策・新エネルギー特別委員会に所属
    3〜4年目 文教委員会、決算特別委員会に所属
・2011年 7月 日本共産党岡山県委員会副委員長
・2015年 4月 県議会議員選挙(岡山市北区・加賀郡)に立候補、4選
       現在 日本共産党岡山県議会議員団長、議会運営委員会(オブザーバー)
           総務委員会、地域経済活性化対策特別委員会に所属
 


パンフレット 「おいたちと活動の記録 (2002年10月)」 より


「21世紀に何より大切にされなければならないのは、平和と環境と福祉です。」

 決して激することもなくじゅんじゅんと訴える森脇ひさきさん――。
 誠実さとやさしさのうちに強い信念がのぞきます。福祉制度の改悪など一方的に国民に痛みを押しつける冷たい政治に心からの怒りを込めて、今こそ「政治にやさしさを!」と訴えます。
 森脇ひさきさんは39歳――若さと信念と行動力で再び県政に挑みます。
 相変わらず大型開発やレジャーランド優先で借金を増やす岡山県、自民党の横暴がまかり通る県議会―― かけがえのない日本共産党の議席を守り、県民が大切にされる県政を目指して今、新鮮力、森脇ひさきさんの出番です。

自然の中で伸び伸びと・・・

自然の中でのびのび遊ぶ 森脇ひさき  森脇ひさきさんは、1962年12月、父正孝さん、母貞子さんの間に3人兄弟の長男として奈良県五條市で生まれました。五條市は大阪府と和歌山県に接する人口3万人の静かな町――森脇さんは自然が残るこの町で伸び伸びと育ちました。
 中学校では片道4キロを自転車で通学しながらクラブ活動は剣道部に所属します。当時はやったテレビドラマを見て「カッコいい」というのが剣道をはじめたきっかけでした。
 現在剣道三段の森脇さん――中学校時代は「遊びだった」剣道に、高校へ入って本格的に打ち込みます。市内の五條高校に進学した森脇さんは早速剣道部に入部します。ところが、入部と同時に大学時代関西学生選手権で優勝したことがある先輩が教師として赴任、剣道部の顧問になってきびしい練習がはじまりました。このためそれまで同好会的に過ごしてきた2、3年生が一斉に退部、1年生も2ヶ月程で次々に辞め、残ったのはたったの4人――無論森脇さんはこの中の一人、「クタクタになりながら」がんばりぬきました。森脇さんはこの中で「何事にもくじけない精神力とがんばることのすばらしさ」を学びました。

心動かされた一本の映画 ―― 早くから環境問題に目を向ける

 小、中、高と静かな五條市で過ごした森脇さんですが、大学への進学を決めるにあたっていつも心に残る一本の映画がありました。
 1970年代、各地で大気汚染などの公害が社会問題になっていました。当時森脇さんは小学校4、5年生の頃。ある日、四日市の公害をとりあげた映画を授業の一つとしてみんなで見ました。自然豊かな町で育ち「空気が汚れることなど想像もできなかった」だけに「同じ日本でこんな目にあっている子どもたちがいる」ことに衝撃を受けました。映画の中で歌われた「知らなかったよ、空がこんなに青いとは」という一節は今も忘れることができないといいます。ぜん息に苦しむ同年代の子どもの姿を見て「こんなことがあっていいのか」という怒りとともに、公害をなくそうと立ち上がる住民の姿にも強い印象を受けました。お父さんの仕事が農業改良普及員という農業の現場で人々と苦楽を共にする仕事だったことからも影響を受けたのでしょう。森脇さんは早くから環境問題に関心をもつようになります。

公害をなくするための勉強がしたい


  小さいころから理科や数学が得意だった森脇さんは高校時代に化学が好きになりますが公害をなくしたいという思いもどうしても心から離れませんでした。大学はどこへ行こうかと考えていた時、岡山理科大学に「環境化学」という専門分野があるのを知り、迷わず進学を決め、1981年4月岡山理大に入学しました。森脇さんがその後岡山の地に根付き活動を始めるスタートでした。

勉強に剣道にボランティアに・・・・・・充実したキャンパスライフ

剣道具姿の 森脇ひさき  大学では大気汚染や水質汚染物質の分析などの基礎から環境化学を本格的に学びました。一方でサークルは剣道部に入り文武両道を大学の卒業式で答辞を読みましたモットーに連日練習を続けました。
 また2年生の頃からボランティア活動にも参加――これがその後の森脇さんの人生を大きく変えることになります。
 授業料半額免除の特典を受けていた森脇さん――さらに親の負担を減らすため、寮に入りました。普通寮生は1年で寮を出て下宿しますが、森脇さんは4年間寮で通し、3年間寮長をつとめ後輩の世話に当たりました。こうして剣道部や寮での生活を通して、人の世話をし人をまとめる力も自然に養われて行きました。
 


研究者を目指し岡大大学院へ

ホノルルでの化学の国際会議  1985年大学卒業時の卒業実験は油水分離の研究――つまり油と水の分離を効率的に行い工業廃水の処理に応用しようというものでした。
 大学で学んだ知識を実社会で生かすためには、より専門的に学びたいと考えた森脇さんは大学院への進学を選び、岡山大学理学部化学科の大学院へ入学しました。2年間の修士課程を経て1987年からは博士課程に進みます。森脇さんの主な研究テーマは、「金属超微粒子表面の酸化皮膜の構造」というもの、金属超微粒子表面を安定的に処理して工業的な実用化を国際会議の参加証目指すものでした。
 奨学金と学習塾の講師で生計をたてながら昼夜をわかたぬ研究生活にうちこみました。
 研究生活は体力と精神力の勝負――中学時代から続けた剣道の厳しい練習がこれを支えました。精密さを必要とする実験では、ちょっとした注意如何が明暗を分け、中々結果が出ない時は本当に辛いものです。指導教授から「自然はウソをつかない。正直に働きかければ必ず答えてくれる」と励まされ、苦労を重ねて成果を得たときの喜びはまたひとしおでした。森脇さんは大学か国立の研究機関で研究者として働くことを目指し持ち前のねばり強さで勉強を続けました。
 
ひまわり村キャンプ
人生を変えたボランティア活動と障害者運動

 森脇ひさきさんがボランティア活動をはじめたきっかけは、大学2年の夏休み。寮の友人に誘われて参加した2泊3日の障害児と健常児のキャンプ(市社会福祉協議会主催ひまわり村キャンプ)でした。「子どもが好きだったので楽しく遊べればいいな」と軽い気持ちで参加した森脇さんでしたが、障害を持つ子どもが懸命にがんばる一途で純粋な姿に強く心をうたれました。これを契機に本腰を入れてボランティア活動に取り組むことになります。「クリスマスのつどい」や「雪遊び」などに参加したあと、翌年「わたぼうしコンサート」の実行委員会に入ったころから、多くの障害をもった人たちと知り合って友人になり、障害者の生活と権利を守る運動に加わって行きます。


わたぼうしコンサート 


障害者の「全面参加と平等」を求めるパレード障害をもつ人々とともに・・・ ―― 生活と権利を守る運動に打ち込む!
 はじめてボランティア活動に参加した頃から、ボランティアとは奉仕者だという当 時の考えに疑問を持っていた森脇さんは、ボランティアの語源や歴史を自分で調べ 「ボランティアとは奉仕にとどまらず、社会をよくするために活動すること」だと考 えはじめます。  
 そして障害を持った人たちとのつきあいが深まるにつれ「障害者が自立しようにも 仕事がない、住宅もない」厳しい現実を知りました。世の中がこれだけ便利になり、 物があふれている一方で障害者は社会の片隅で自立もままならない不自由な生活を強 いられているのはどう考えてもおかしいと社会の矛盾を強く意識するようになりま す。同時に「普通の生活を」という障害者の願いに応えたいと強く思いはじめまし た。

いつも障害者と同じ目線で
 
障害者の方達と旭川荘竜口寮で こうして障害を持つ人たちの生活と権利を守る運動に打ちこみはじめた森脇さんでしたが、共に運動をしてきた障害者たちは一様に森脇さんのことを「最初から僕たちと同じ目線で接してくれる不思議な青年だった」といいます。
 障害者にはどうしても介助が必要です。その際「助けてあげる」「助けて貰う」という関係では気持ちのつながりが生まれず長続きしません。森脇さんは全く違いました。みんなに「同じ人間として長くつきあえる人」という印象を与えたのです。
 「何を頼んでもイヤな顔を一度もしなかった」「いいかげんな妥協はせず、物事を一つ一つきちんとこなす」――運動を通して森脇さんへの信頼は一層深まって行きました。
 「岡山肢体障害者の会」に健常者として始めて加わり、事務局長をつとめました。学習会や行事の企画、機関誌の発行などの会の活動とともに、岡山県内各大学のボランティアサークルに呼びかけてネットワークをつくるなどのまとめ役にも力を発揮します。忙しい研究生活と両立しての活動でした。生来の真面目でやさしい性格と剣道で鍛えた体力と精神力が森脇さんの活動を支えました。
 
国民の立場で政治を変える日本共産党に入党

 障害者運動の中で社会の矛盾に気付きはじめた森脇さんは学習会や障害者団体の全国大会などを通して一層視野を広げて行きました。折から国連が提起した国際障害者年とその行動計画は、社会的に弱い立場の人々に生きる勇気と希望を与えるはずでした。
元旦の赤旗出発式 しかし日本の政府は全く逆――大企業本位の政治をおし進め「自助・自立・相互扶助・民活」の名のもとに自己負担を押しつけるだけで国の責任を投げ捨ててしまいました。「これでは日本の障害者やお年寄りは、日本にいるが為に2倍にも3倍にも重い障害を背負わされている」「政治を変えない限り障害者の暮らしは良くならない」――これまでも対県・対市交渉を通して政治の壁を経験し、その際各党の議員の姿勢を目のあたりにしてきた森脇さんは、真に国民の立場で政治を変えるため、何より人間が人間として大切にされる社会を実現したいと自ら進んで日本共産党への入党を決意します。
 博士課程に進んだ24歳の夏でした。塾の講師をしながらの研究生活、障害者運動に加え、日本共産党党員としての活動がはじまりました。間もなく「しんぶn赤旗」の早朝配達を引き受けます。時には徹夜にもなる研究生活の中で、約100部の配達を2年間1日も休まず続けました。体力と精神力では誰にもひけを取らないと自負する森脇さんならではのエピソードです。

社会進歩に生涯をかける誇りと喜び ―― 日本共産党の専従活動家に

乳幼児医療費無料化を求める会と共に県に申し入れ 博士課程に進んで5年――大学か研究機関に就職がしたいと考え、これまでの研究成果を論文執筆にとりかかっていた1992年――森脇さんのすぐれた資質に着目した日本共産党から「専従活動家になってくれないか」という要請がありました。
 真面目一筋に自分の道を進んできた森脇さんもさすがに悩みます。「これまで苦労して研究してきたことが無駄になりはしないか」――しかし平和と民主主義、人間の命と尊厳を守るため献身的にたたかってきた日本共産党への思いから、社会進歩に生涯をかける人生、そこに誇りと喜びを見出そうと専従活動家への道に踏み出します。29歳の時でした。
 以後参議院候補者の秘書の仕事を皮切りに、党岡山地区委員会の役員として機関紙活動を支えるなど若さと持ち前の精神力で深夜早朝の業務もいとわず、県民の暮らしと守る運動に立ってがんばり続けてきました。

無念・・・二人の友人の急死
 ―― 今こそ政治に優しさを!


 数年前障害者運動を共にとりくんできた2人の友人の急死という悲しい経験をしました。二人とも重い障害と闘いながら自立を目指した暮らしの中で亡くなりました。
 37歳と42歳の若さでした。人一倍やさしい性格の森脇さんの悲しみもひとしおでしたが、同時に重い障害をもった人が自立しようとすればそれこそ命がけという今の政治の冷たさに一層の怒りを覚えました。2人の友人の死に報いるためにも、誰もが安心して暮らせる社会をつくる闘いの先頭に立とう――森脇さんは新たなファイトを燃やしています。

人類につきつけられた環境問題!―― 専門知識をもつ森脇さんの出番です


岡山市粟井に放置された高濃度のダイオキシンを含む焼却灰。市に働きかけて撤去させました ゴミ、産廃、ダイオキシン、環境ホルモン――数年前から大きな問題となってきた環境問題は今、地球温暖化、生態系の大量破壊と進み、数十億年をかけて作りあげられてきた地球の生命維持装置そのものが脅かされる巨大な問題として人類につきつけられています。
 森脇さんは今日の事態を見越したように早くから関心を持ち、専門的な勉強を続けてきました。環境問題ではまさに森脇さんの出番です。今各地で様々な運動が広がっていますが、森脇さんは幅広い住民によって作られたネットワーク組織「岡山の緑と水と空気を守る会」に準備段階から加わり活動を続けています。
 専門知識を生かしたダイオキシン学習会の講師をつとめたほか、産業廃棄物処分場の調査、県や市への申し入れなどに精力的に取り組んでいます。この問題でも大企業の利益優先のゆがんだ政治をただすことの必要性を改めて痛感しています。

豊かな未来を子どもたちに

二人の子ども達と過ごす森脇ひさき 森脇さんは1995年歯科技工士のみどりさんと結婚、今7歳と5歳の二児の父親です。子どもたちの豊かな未来のために安心して暮らせる環境、美しい自然を残したい。森脇さんの切実な願いです。忙しい活動の中で子どもたちと関わる時間を少しでも増やそうと今PTAの学級委員をつとめる森脇さん――いじめや不登校といった教育や食の安全の問題、少子化問題などゆがんだ政治がもろに子どもたちにおそいかかっていることに改めて怒りを覚えています。ましてやアメリカの戦争に協力する有事法案など子どもたちの未来を奪う最悪のたくらみは絶対に許せない――二児の親、森脇さんの固い決意です。

再び県政に挑む ―― 県民が大切にされる県政目指して!

足守川の水を守る会と共に岡山市に申し入れ 森脇ひさきさんは1996年、32歳の若さで衆議院議員候補として闘ったあと、前回1999年岡山県議会議員選挙に立候補。惜しくも敗れましたが、当時から一貫して大型開発優先、全国一の借金県となった県政に対し、「無駄遣いをやめて福祉の向上を!」と訴え続けています。四年後の今はどうでしょうか。岡山県の借金は増え続けています。その分、福祉、教育、暮らしを守る予算は削られ、県民に冷たい県政が続いています。苫田ダムなど大型事業推進の立場を変えず、チボリには新たな財政援助を決めるなど無駄遣いは止まりません。こんな県政を支えてきたのは県議会で多数を占める自民党です。「公共事業一本やりの自民党に牛耳られた県議会では、県の借金は決して減らず、県民のための県政は実現できない」と森脇さんは訴えています。そして森脇さんは「21世紀に何よりも大切にされなければならないのは環境、福祉、平和です」と主張し続けています。
中林よし子衆議院議員と共に国に申し入れ  早くから環境問題に目を向け、障害者の福祉向上の運動の第一線に立った森脇さん――平和の課題でも何より戦前から命がけで戦争に反対してきた唯一の党日本共産党の一員として、最近では自衛隊三軒屋弾薬庫周辺の住民団体に呼びかけてシンポジウムを開くなど「憲法九条こそ平和の最大の備え」を信念に闘っています。
 前回の雪辱を期し再び県政に挑むにあたって森脇さんは「21世紀のキーワードとなる三つの課題全てにかかわってきた者として、誇りを持って挑戦したい」と力強く語っています。
 森脇さんをはじめ日本共産党の議員が増えれば県政を変える大きな力となります。県民一人一人が大切にされるやさしい県政を目指して森脇ひさきさんとともに全力でダッシュしようではありませんか。

                             2002年10月


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