私のちょっと一言
●2011年6月26日(日)
 
広島で農作業と家族会議
金曜日の夕方出発し、25日・26日と広島の田舎に家族で行った。

 目的は、去年母が亡くなり父が元気をなくしたので様子を見に行くこと。田圃は近所の方に頼んであるが、家のまわりの片づけやと畑の作物の収穫。そして父の暮らしと今後のコメ作りの方向を相談する家族会議、の三点。

 父は少し痴呆が始まり、足腰もだいぶ弱くなってきたものの、おおむね元気そうで安心。畑の方は父が丹精込めてつくったジャガイモの収穫。茎の根元に鍬を入れて引き抜くと五個〜六個の芋がゴロゴロと出てくる。あっという間にムシロ二枚にいっぱいの芋が収穫できた。さっそく翌日の昼のおかずに新じゃがで肉じゃがをつくって食べたけどうまかった。

 あとは、庭の周りの植木の選定に。剪定ばさみをもって汗をかいた。

 夜には、家族会議。今年の田植えや除草、水回り、稲刈りは親戚と近所の方にお願いすることにしたものの、来年以降はめどが見えない。圃場整備補助を受けているで、そう簡単に休耕田にできない。また、近所への与える影響を考えながら、身体がいうことを聞かないことから父もジレンマに陥っている。

 さらに人に頼む手間賃や乾燥機械の使用料など加えると、農協に売っても赤字がという。1俵5千円という価格に今更ながら国の農政による農家の大変さを改めて実感した。
 
 それでも田圃と畑は父の生きがいでもあり、いろんなネットワークを探して、コメを送ってもらっている私らも一定の援助をし、田植えや稲刈りには休みをとって帰ることを含めて、支えていこうと家族で話し合った。


●2011年6月10日(金)
 
子育て新システム反対マラソンスピーチ

  100日マラソンスピーチ(2011610        
 ご紹介いただきました、北区選出の市会議員の井坂博文です。子ども・子育て新システムに反対するマラソンスピーチの趣旨に賛成していますので、私の思いを一言しゃべらせていただきます。

 私の子どもは三人とも北区の保育園で産休明けから育てていただきました。子育てに不安を持っている保護者の悩みに寄り添い、親育てもしていただいた保育所と保育士さんに心から感謝しています。卒園後も定期的に同窓会を開き、子どもたちは昔話に花を咲かせ、保護者は子どものその後の成長を自慢しあったり、うまくいかない悩みを出し合ったりして、今でも交流しています。

 京都の保育は国の補助金に京都市の単費を上乗せして、どこの保育所でも同じ基準で保育ができるように保障する制度を維持していました。「いました」と過去形で言うのは、二年前にその制度が改定され、保育所によって格差が生まれ、現場では子どもや保護者に寄り添う余裕がどんどん失われているからです。

 それに輪をかけるのが、今回の新システムではないでしょうか。全国で同じ基準を持って保育内容を保障し、その財政責任を国が持つことを全面的に放棄しようとするものです。政府は「地域主権」とか「地方の時代」との名目で、地方自治体の裁量に任せようとしていますが、「市の財政が赤字だから」と言えば、保育予算をいつでも減らせることができるようになるだけはないでしょうか。

 待機児童を解消することは、入所を希望する保護者の切実な願いですが、「安かろう悪かろう」とすし詰めの保育を希望はしていません。

 保育士さんが安心して働くことができずして、子どもに良い保育ができるでしょうか。園長先生が経営と採算ばかり考えて、子どもに良い保育が提供できるでしょうか。

 私は、国の新システムには反対します。国の責任で子どもたちを守る基準の引き上げを求めます。みなさんの声に応えて、市議会でがんばります。ともにがんばりましょう。


●2011年6月4日(土)
 
議会改革が一歩前進
 改選後初の5月定例会は、5月30日に閉会本会議を開き、議会のあり方を議論する常設の「市会改革推進委員会」の設置し、その議論を公開することを決めた。私や党市会議員団が公約に掲げた、市民に開かれた議会改革が一歩前進した。

 議会改革で決まったことは次の三点。

 第一に、「市会改革推進委員会」を他の委員会と同様に、市役所内でモニター放映公開することが決まった。間接傍聴ではあるが、公開の場での議論は議会改革を前に進める力になる。

 第二に、選挙前の二月議会で決まった23年度の議員報酬一割削減と費用弁償廃止によって生まれる一億三百万円を補正予算に繰入れ、震災対策に使うことが、全会派一致で決まった。
 日本共産党は昨年の十一月議会で「身を削って議会の予算を市民生活にまわそう」と主張し、議員報酬三割削減する条例案を提案。費用弁償全廃は〇七年から繰り返し要求してきた。これらの積極的提案が議会をリードし、二月議会での削減と廃止につながったもの。引き続き、議員報酬三割削減を要求していきたい。

 第三に、一般会計の予算や決算を審議する特別委員会の市長総括質疑を本会議場でおこない、市民の直接傍聴を認めることを各会派協議で確認し、検討課題となっている。

 日本共産党は、昨年十一月に「市民のための仕事をする議員と議会」へむけたアピールを発表し、▽住民と市政をつなぐ議員の定数削減に反対▽すべての委員会の直接傍聴▽市民の請願審査は請願者による趣旨説明の実施▽議員による公開の場での政策討論会、などを提案している。

 この実現にむけて、ひきつづきがんばっていきたい。 

●2011年4月30日(土)
 
初めてのトロッコ列車と保津川下り
 昨年10月に母が亡くなり、田舎で生活するおやじはすっかり気が弱くなって、「しんどい」「何もやる気が起きない」が口癖になっている。

 母の葬式に私のいとこが勢揃いした際に、「来年の五月連休に京都でいとこ会をやろう」と相談していたが、3月の東日本大震災もあり、千葉に住むいとこに配慮し、今回は私の兄弟に限定し、田舎のおやじを引っ張り出して元気づけようと京都見物を企画した。

 29日は、伏見の酒蔵を見学。酒造りの歴史を深めながら、私はもっぱら利き酒を堪能させてもらった。

 この日の宿は嵯峨野に。早めに着いて、嵐山を散策してみたが、お店の人に聞いても例年に比べて観光客は少ないとのこと。タクシーの運転手も、「連休が始まったのに、街に人がいない」とぼやいていた。
 翌日30日は、朝からトロッコ列車に乗って亀岡へ。JRで眺めることはあっても、利用するのは初めての体験だが、壮大な眺めにおやじも喜んでいた。

 これまた初めての保津川下りの船に乗船。あいにくの曇り気味の天気で、頬にあたる風も少し寒いが気持ちがいい。桜に続いて新緑が目に優しく映る。

 船頭さんの軽妙な語りを楽しみつつ、時折りの激流に乗るときは歓声をあげながら下って行くと、あの「星のや京都」が見えてきた。連休中は宿泊料金一人7万円という。富裕層に人気が高いというが、宿の確保に四苦八苦している我々との格差にあ然とする。

 お昼は嵐山名物の湯豆腐に舌鼓をうって、京都に来たもう一つの目的の西本願寺に行って母親の供養をしてもらった。

 あとは、清水の舞台を見たいというので五条坂に向かったが、あまりもの混雑と渋滞にあきらめて宿に行って、休憩してもらうことに。

 夕食を食べながら、今年のコメ作りや畑のことを相談するも、おやじはもう現場に立つことはできそうもなく、集落の人も高齢化して手伝ってもらうのも難しい。「今年はなんとかできても来年はわからん」というおやじに、かける言葉がなかった。来年は五月連休はないかもしれない。

●2011年4月12日(火)
 
娘は料理が得意
 次女がこの春に高校に入学。近所の高校ということもあって、中学時代の友人とマンションの前で待ち合わせて登校している。

 バイトを見つけるまで、小遣い稼ぎに家のご飯を作ることになった。

 今日の晩御飯には、キムチ炒飯と肉団子と野菜のスープ(写真)。彩もよく、味もけっこういけている。親バカと笑うなかれ。

 この間、野菜炒めやハヤシライスなど頑張っている。

 料理も「嫁入り修行」ではなく、自立した女性となるようがんばってほしい。心からのエールを贈りたい。


●2011年2月11日(金)
 
ファンクラブでの「井坂検定クイズ」に挑戦
 好評だったクイズを紹介します。全問正解すれば、あなたも井坂検定合格です。解答に興味ある方は、メールください

01年井坂ファンクラブ新年会 井坂検定クイズ

@ 井坂さんは、さる年である・・・        

A井坂さんは現在市会議員5期目である・・・

B井坂さんの父親は被爆者で、井坂さんは被爆二世である・・・                                                                       C井坂さんの市職員不祥事と同和特別あつかいに関する厳しい追及は有名。その論戦を買われて 2006年9月にテレビ出演したのは「笑っていいとも」である・・・

D井坂さんは、市議会の運営を決める市会運営委員会の理事の中で一番長い・・・

E井坂さんは「あなたの街の議員はん」を目指しています。個人の相談や、地域の要求から役所 を通じた相談まで寄せられる生活相談は、年間で200件である・・・

F井坂さんが結婚したのは1985年。夫婦喧嘩はしたことがない・・・

G井坂さんが一番好きな食べ物は、カレーライスである・・・

H井坂さんの好きなスポーツは、アジアカップで優勝したサッカーである・・・

I井坂さんが尊敬する人物は、坂本龍馬である・・・


●2011年1月17日(月)
 
沖縄の心
 みなさんは13日付の京都新聞をご覧になったでしょうか?7面の「時のひと」の欄に沖縄出身の歌手南沙織さんが登場していることを。

 沖縄の本土復帰の前の年1971年に「17才」でデビューした南沙織さんの歌とルックスにあこがれた若者は多かった。当時高校生であった私もその一人で、初めてファンクラブに入会したことを覚えている。

 南沙織さんは沖縄で生まれ、普天間飛行場のゲート近くで育ち、「ジェット機の爆音は生活の一部だった」という。そして「あの危ない飛行場がなぜいまだにあるのか。移転先が辺野古の海というのもだめ」と言い切る。「海を汚してほしくない。故郷の未来にはそれが絶対条件」と言う。

 私が好きだったアイドルが、いま、沖縄の心を自分の言葉で訴えている。ますます南沙織が好きになった。

●2010年12月28日〜31日(金)
 
年末課題、年末丹後、そして広島
 28日は生活相談の対応で市役所に行って、仕事納めで忙しい職員さんに無理言って話を聞いてもらったものの、相談者には芳しくない内容なので、改めて相談者と話することにしてひとまずは保留に。

 事務所に帰って、12月訪問しても留守だった方に電話して来年1月から赤旗しんぶんを購読してもらう約束をいただいた。さらに、残っていた集金にまわって、逆に支払しなければはならない処理をすまして、田舎の土産物を買いまとめ、荷物をまとめて、丹後の民宿に一泊だけの家族との冬休み。カニをおなか一杯食べて満足( ^)o(^ )。

 翌朝(29日)の朝に民宿を出て、広島の実家に家族といっしょに帰省。10月に母がなくなり寂しい年末になった。土産のカニと魚をつまみながら父と話した。口うるさい母がいればその話にいっちょかみしてくるのに、いないことを実感した。

 広島は昨日から寒波の襲来で雪がいっぱい。31日には20センチの積雪。それでも冬用タイヤを履いているので、道路はへっちゃら。田舎にある数少ない食料品店で新年会の食材としてしし肉(イノシシの肉)とワニ(フカのこと)、地元のブドウで作った世羅ワイン、地元のコメで作った清酒を買っって京都へとんぼ返り。ちなみにイノシシの肉を加工販売しているお店は赤旗「日曜版にも広告を載せている赤旗しんぶん読者だ。

 31日の夕方に京都に帰ってきてびっくり。なんと名神高速が京都南から瀬田まで雪のために通行止めに。市内に戻ってみると田舎と同じぐらいの雪が降っているのには参った。大晦日にこんな雪で初もうではだいじょうぶだろうか?

 このブログを書いているうちに、紅白歌合戦は白組の勝ち。そしてカウントダウン。ついに新しい2011年が始まった。
昨年はいろいろお世話になりました。今年はいよいよ私の選挙の年。4月以降もみんなで、そして新しい仲間を増やして議員団の仕事ができるように、みなさんのお力添えをよろしくお願いいたします。

●2010年12月12日(日)
 
母の49日法要
 10月に亡くなった母の49日法要が12日におこなわれ、家族5人そろって広島へ。

 講中と呼ばれる隣の二軒と、親戚が集まって、お寺さんに法要してもらい、納骨へ。お墓は、法要を機会に登り道と一部を改修していた。

 納骨を無事に済まして、ちょっと豪華なオードブル弁当で食事会。

 お酒がまわっていくと、いろんな話が出てきて、農業問題や最近の政治の話に。

 「頑張ってコメをつくっても毎年赤字。今年は米価が下がってもうやっていけない。誰もあとを継がない」「その上に、TPPがやられたらもうおしまいだ。政府は何を考えてるのか」と怒りの声。

 「せめて自分で食べるものは自分で作り、国民が食べるものは日本で作るようにしたい」と環境と生活を考えて、無農薬農業しながら鶏を5万羽飼育している隣のお兄さんも、「契約家庭だけでは採算が取れない。これに安い海外産の卵が入ってきたらもうだめだ」と。

 結論は「政治が頑張ってもらわないと」と一致。「もう、どこの党がどうだとか言っている場合ではない。お前も京都でがんばれ」と期待と激励の声が。もちろん、共産党の政策をしっかり話をさせてもらった。これこそ、「つどい」じゃないか。

●2010年11月14日(日)
 京都まつりに1万人
 秋晴れとは言えないが、暑くもなく寒くもなく絶好の祭り日和。宝ヶ池公園に府内から1万人の参加者。京都で一番大きい手作りのまつり、京都まつりが開かれた。

 中央舞台では、来春の統一地方選挙の候補者が勢揃いし、一人ひとり紹介され大きな拍手を受けた。

 部隊の周辺には、後援会の模擬店がズラリと並び、わが「井坂ファンクラブ」も選対本部と合同で店だしした。店の名前は「井坂や」、居酒屋を交じったもの。内容は全国選りすぐりの地酒、干物焼き、きゅうりキムチ、手羽先、から揚げ、と多彩。

 私も先頭に立ち、スタッフや私の娘が売り子になって、とても好評。全部売り切れて、売り上げは10万円、収益は3万円。ご苦労様でした。


 

●2010年10月31日(日)
 
母の
、合掌
 広島の実家の母が28日23時34分永眠した。享年81歳だった。

 母は、役場勤め父を支えながら私をはじめ3人の子を育ててくれた。口やかましいが明るく優しい母だった。その母が、今から14年前の平成8年軽い脳梗塞で倒れた。

 その後はリハビリをしながら、回復に頑張ったが5年前には大腸がんの手術を、2年前には心臓の調子が悪くなりペースメーカーの手術を、やるなど病との闘いでもあった。
 それでも、年々体が弱る父を心配し、「電話をしろ」「帰ってこい」などたびたび連絡をしてきていた。

 近年は、孫をつれて帰ることと、お土産の硬い八つ橋を楽しみにしていた。20歳をすぎた私の娘にもお年玉や小遣いを渡すのを喜びとしていた。孫たちも、この年になっても、小遣い抜きにしても、おばあちゃんに会うのを楽しみにして、正月と5月連休とお盆には家族そろって帰省していた。

 そんな母も、この夏の猛暑には耐えきれず、8月の初旬と下旬に連続して入院した。食欲もなくなり、点滴だけの生活となった。今週になって医者と話し合い、家族で相談して「14年間もがんばったのだから延命措置はやめよう」と話し合っていた矢先の突然の死だった。

 28日の閉会本会議を終えて、後処理をすまして、とりあえず様子を見に実家にむかって車を走らせ、到着したとたんに病院から連絡があり、駆けつけたら息を引き取ったところだった。 


 通夜は30日、告別式と初七日をまとめて31日に執り行った。遠方にもかかわらず、通夜に駆けつけていただいた同僚のみなさん、丁重な供花や弔電をいただいた友人や共産党関係者、市役所職員、各会派のみなさん、ありがとうございました。



●2010年9月26日(日)
 
母の入院
 田舎の母が、8月に二度入院した。一度目は今年の暑さで自宅にいると、熱中症の危険があるというので、それを回避するために。二度目はお盆を境に急に食欲がなくなり、点滴に頼らざるを得なくなり、通院が大変なために。

 盆休みに私の家族と帰省した時には退院もして、割と元気で安心していたのだが、二度目の入院以降は都合がつかず、電話で様子を聞くだけで気になっていた。

 ようやくこの土日で娘を連れて帰ることができて、入院している病院に見舞いに。ほとんど食事をしなくなり、流動食を少し食べるだけというので、母の好きなぜんざいをつくっていった。
 スプーンで口に運んだら、おいしそうな顔をしてうなずいてくれたが、五口くらいで「もういい」と言う。しかし、もう一つ好きな固い八つ橋は、もう食べられなくなった。

 食べないのですっかり痩せている。話はできるが、ぼそぼそとしゃべるので聞き取りにくい。聞き直しながら「しっかり食べて体力をもどして家に帰ろうな」と励ました。

 父もすっかり体も気持ちも弱気になって「もっと帰ってきてくれ」と言う。年内にあと何回帰れるだろうか。後ろ髪を引かれる思いで京都に戻った。写真は弟が土産にと、買ってくれた今年初物の松茸。

●2010年8月28日(土)
 
児童館夏祭りと同窓会
 いつまでも暑い今年の夏。子どもたちがお世話になった児童館も恒例の夏祭り。

 今回はOB会有志で模擬店のお手伝いに。出し物はこれまたこの間定番の「とん平焼き」とポテトフライ。

 シェフのWさんが下ゆでした豚肉を焼き、卵で手際よくくるんで、私は販売役。3回も買いに来るリピーターの子どももいたり、「晩御飯に」と三パック買って帰る方もいたり、とっても好評だった。

 最後のほうで失礼して、私が地域の民青同盟の役員をしていた頃の仲間が同窓会を開いたので、二次会に出席。懐かしい顔を見ながら昔話に花が咲いた。いつまでも仲間っていいもんだ

●2010年8月14日〜16日(月)
 
夏休みパート2…広島へ帰省
 お盆の墓参りを兼ねて、家族で(長女はバイトのため留守番)広島に帰省。

 母は、この猛暑の影響で月初めから行きつけの病院に急きょ入院。弟が奮発して父と母の寝ている部屋にクーラーを購入してくれた。
 私の人生経験のなかでは、実家は夏でも部屋の中は十分に涼しく昼寝も気持ち良かったのに、クーラーなど考えられないことだ。
 それだけ今年の暑さは異常なのかもしれない。

 父も身体がすっかり弱くなり、家の周辺の樹木の剪定ができないとこぼしているのを聞いて、にわか庭師として剪定の仕事を。一日かけて伸びている樹木をばっさり刈り込んだ。

 日頃はヘルパーさんに食事をお願いしているので、家族そろっていつものレストランでごちそうを食べた。少しは親孝行できたかな


●2010年5月4日
 連休使って農作業と山菜採りへ
 連休を使って広島に家族そろって帰省し、農作業と山菜採りに精を出した。

 両親ともすっかり気持ちも身体も弱くなり、田植えや畑仕事、家の片付けもままならなくなっている。日頃は弟に任せているのだが、今年は正月、三月の連休に続いて、孫の顔見せと両親の激励を兼ねて家の手伝いに帰省した。田植えの下準備は近所の方に手伝ってもらい、私は妻と弟とで家の裏に溜まった枯れ葉を、背負子に入れて運んで、すっかりきれいになって一安心。

 ちょうど、いとこの家族も遊びに来ていて、久しぶりににぎやかにご飯を食べて、両親も喜んでくれて、少しばかりの親孝行になったかな。そこで話し合って、来年の5月連休はいとこでそろって両親を京都に招いて、京都見物をすることになった。それまで元気でいてほしい。

 その合間をぬって、恒例の山菜採りにもでかけた。例年と比べて天候不順で、発育が遅くてワラビや蕗は不作。一方でタラの芽やゼンマイは結構採れて満足だった。家からすぐの山とあぜ道で山菜が採れる環境をいつまでも大事にしたい。写真は、左から時計回りで、蕗、ワラビ、タラの芽、ゼンマイ。


●2009年12月31日

 田舎の両親と弟と
 年末は毎年の恒例で家族そろって28日から田舎の両親のもとへ。

 高齢を重ねる両親はずいぶん身体も心も弱くなっている。それを励ましながら、墓掃除と家の前の溝掃除、そして家の中の大掃除と休む間もなしに働いた。

 30日は近くの(と言っても車で30分走ったところ)レストランで昼飯をごちそうして、日ごろのご無沙汰にせめてものつぐない。

 31日は、前日の夜半からの雪が降り積もり、一面の銀世界。子どもは大喜び、しかし私は帰りの道が心配。

 予想通り、高速道路は通行止め。一般道を走って、なんとか京都にたどり着いて、ほっと一安心


●2009年12月20日
 全国高校駅伝で母校世羅高校が優勝

年末の都大路の風物詩、全国高校駅伝が今年もやってきた。この時期になると妙にそわそわしてくる。それは、常連校であり私の出身でもある世羅高校がやってくるからだ。

 毎年のように、今年も広島や全国から応援団がかけつけてきた。私の同級生も前日から泊まり込みで来ている。昨晩はその仲間たちと前夜祭というか同窓会をやり、昔話に大いに盛り上がった。

 当日の応援も毎年の恒例で省エネ型に。一区がスタートするのを見送って、西京極競技場の近くの毎年お邪魔するお好み焼き屋に直行し、大型テレビを見ながら、ビールとお好み焼きで観戦。

 3区で留学生、ビタン・カロキ(3年)が8人抜きを見せてトップに浮上すると、4区の竹内一輝がさらにリードを拡大。5区以降の選手も圧倒的な走りを見せ、世羅が3年ぶり6度目の優勝を飾った。

●2009年11月22日(日)
 みどり祭りで古川豪さんとコラボ


寒さを吹き飛ばす古川豪と井坂のコラボレーション
 祭りの企画で、新大宮商店街で薬屋を営みながら40年にわたって、フォーク活動を続けてこられた古川豪さんのミニコンサート。

 古川豪さんのうたは、テレビに毎日登場する今はやりの歌と違い、きちんと今の政治批判をしながら、地域に根差しているのが魅力。商店街の普段の大将やおばちゃんとお客さんの会話がそのまま歌になっている。大型店に押され商店街全体が元気をなくしシリアスであると同時に、底抜けに明るいおばちゃんの根性をやさしくうたっているのがとってもいい。

 せっかくのコンサートの途中で雨が降り始め、舞台の天井は屋根つきなので急きょ観客の方に舞台の上に上がってもらい続け、最後まで頑張ってコンサートは終了、やったね。古川豪さん、最後まで聞いていただいたお客のみなさんありがとう。
 

●2009年11月4日(水)
 ダイナマイト騒ぎ
これが私のマンションのゴミ出しコンテナ  「マンションの周りにいっぱい警察が来てるらしいけどなんか心当たりある?」って妻からの突然の連絡にびっくり。

 さらに友人の数人から同じ内容の携帯電話がかかる。「いったい何事か」と思っていると、「マンションのゴミコンテナにダイナマイトが仕掛けてあった」って連絡にびっくり。

 交番に警察、刑事、大型トラックの爆発物処理班など、50人近い警察関係者が続々とかけつけ、野次馬も集まり、物々しい雰囲気に包またそうだ。 

 「すわ、大変」と動揺していると、しばらくして「どうもダイナマイトのおもちゃだった」ということ、の連絡があって一安心。聞けば、住人の方が袋に入れて出したのが、回収のさなかに袋から出てしまって、それをみた管理人さんが管理会社と相談して警察に連絡したそうだ。

 笑っていられないのが、たまたま夜のマンション理事会の中での話。

 刑事から「このマンションに襲われそうな人の心当たりがあるか」と聞かれ、管理会社の担当が「実は理事長が市会議員だ」と答えたところ、「そんなことは知っている」と刑事が言ったそうだ。ダイナマイト以上に「あぁ、怖っ!!」

●2009年10月22日(木)
 
未来の食卓
 「未来の食卓」…先日、新聞夕刊を何気なく見ていると目に飛び込んできた映画紹介の記事。

 農薬や化学肥料による食物汚染が、子どもたちの未来を脅かす。すべての学校給食と、高齢者の宅配給食をオーガニックにしようと、フランスの小さな村が立ち上がった、と書いてある。

 妻が新婦人と農民連との産直をやっていることから、少なからず関心を持ち、下の娘が最近アレルギー反応を示しており、妻と一緒に早速見に行った。

 期待にたがわない、とってもいいドキュメント映画であった。
 
 舞台となった村は、フランス南部の小さな村、バルジャック。村の小学生たちが校庭の菜園で野菜を育てる中で食の大切さを学び、変わっていく様子がいい。それを支える、村長や教師と給食室のシェフがまたいい。そしてそれをとおして変わっていく大人や農家の人々。

 一年が経って、村長が子どもたちに尋ねる。「オーガニックとは?」

 子どもが答える。「自然のまま」

 実にシンプルで、当たり前のことをこの映画は教えてくれた。

●2009年9月23日(水)
 大型シルバーウィーク
 鳴り物入りで始まった今年のシルバーウィーク。

 総選挙があった関係で、まとまった休みをもらって(といっても2・5日だが)、盆休みにいく予定にしていた信州にあるKさんの別荘に、妻と娘と三人ででかけた。あいにくの曇り空だが、涼しい二日間だった。

 Kさんの職場の同僚のOさん家族も一緒に、Kさん得意の料理に舌づつみをうちながら、のんびりと読書やお昼寝をしながら、ゆっくりと時間がすぎる最高のぜいたくな休暇を過ごした。

 とは言っても、巷は鳩山内閣の話題でもちきり。国連気候サミット、日米首脳会議、八ッ場ダム建設中止問題、補正予算の見直しなど・・・。

 当面の九月市会での論戦に大きな影響を与えるものも多い。
明日からはさっそく議案勉強会が始まる。気合いを入れてがんばるゾ。

●2009年8月7日(金)
 
ねっとわーく9月号をご覧になりましたか
 久しぶりに京都市の同和行政に関する執筆をした。ねっとわーく京都9月号の特集記事…「市同和行政の到達点と課題」がそれ。

 6月13日に開催された市連協主催の「同和総点検委員会を点検するシンポジウム」での私の発言を基にして、ねっとわーく京都編集部のインタビューに答えたもの。

 総点検委員会の評価に関わって「功と罪」を私なりに四点に整理して、市行政における同和特別扱いの歴史と議会で私と党議員団が追及してきた内容を詳しく記述しているので、興味と関心ある方はぜひご一読を。

 

●2009年6月26日(金)
 
アルバイトのお金で父の日のプレゼント

500サイズの缶ビールとグラス

北山通りの回転すし
 母の日に比べて影の薄い「父の日」。しかし今年も子どもたちは忘れずに祝ってくれた。
 大学生になった息子は、お酒の好きな私のことを考えてビッグなビールグラスをプレゼント。二人の娘はそのおつまみを贈ってくれた。

 その上に今日は、息子はアルバイトでためたお金で、「おとんとおかんに奢ってやるわ」と、少し高めの回転ずしでお寿司を食べに連れて行ってくれた。とってもおいしかった。

 ごちそうさま、そしてありがとう!
2008年12月28〜31日(水)
 
年末恒例の家族旅行に今年は全員参加

 丹後半島の由良浜の民宿で蟹三昧、まずは焼きガニからスタート。そのあとゆでガニ、天ぷら、カニすき、最後は雑炊。おなかいっぱいで私も妻も子どももみな満足。お風呂も温泉で肌がつるつるに、幸せになった。

 翌日は子どもが中学時代にキャンプを張った思い出の竹野浜へ。さすが冬の日本海。空は青空で温かいものの、波は大きい。岩に砕け散る波が勇壮。 

 子どもにせっつかれて、妻とツーショット。


 子どもが砂浜に記念の落書き。やがて波が消すから環境破壊にはならないだろう。


 29日に広島の実家に着、31日までゆっくりした。30日の夜から急に冷え込んで、31日の朝は突然の銀世界


 私の子どもたちと、田舎の両親とで記念写真。病み上がりの母親が「次に帰ってくる時まで生きているかどうかわからん」と泣きだしたのにはさすが参った



2008年11月3日(祝)
 
「伏見工業相手によくがんばった。いい試合だった」…最後の公式戦に拍手
試合が終わって引き揚げる桂のフィフティーン 着替えて記念写真。たたかいぬいてこの爽やかな笑顔
監督の杉本先生に挨拶するキャプテン(向こう側)と副キャプテンの息子
珍しくツーショットで写真に納まる親子

2008年9月16日(火)
 結婚記念日に子どもたちがケーキでお祝い

 
そんなこんなでバタバタ走りまわって、家にたどり着いたら子どもたちがケーキを用意して待っていた。

 夕方末の娘が「今日はおとんとおかんの結婚記念日やろ。よく続いたな」とお祝い(?)のことば。そして長女と長男が近所のケーキ屋さんでケーキを買ってくれたそうだ。

 こんな子どもたちに支えられてきたから、わたしたち夫婦も長年走り続けることができたと思う。子どもたちの心づかいがうれしい。
 さっそく用意したお酒で乾杯し、ケーキをごちそうになった。

●2008年9月10日(水)
 いまどきの高校生もなかなかやるもんだ

学校内に建てかけられているパッチギ立て看版
みなさんは、映画「パッチギ」をご覧になっただろうか。
2005年に井筒和幸監督の作品として製作され、60年代の京都を舞台に日本人高校生と在日朝鮮人の二人が、「イムジン河」(ザ・フォーク・クルセダーズ)の歌を縦糸に、朝鮮と日本の複雑な関係に翻弄されながらも仲間とともに懸命に生きていく姿を描いたものである。 

 60年代と言えば、私の青春時代と全くかぶるだけに、映画を見て、当時のフォークグループの演奏や、「イムジン河」や「悲しくてやりきれない」を聞くと、それだけで涙が出てきた。

 映画のテーマは「世界は愛で変えられる」だった。つまり、当時のベトナム戦争や民族間の紛争を目の当たりにして「戦争や暴力では世界は変わらない。愛でこそ世界は変えられる」という意味だろう。ちょっとくさいセリフだが、在日朝鮮人の子を好きになり、過去の戦争の中で日本軍が行ったことや在日の人々の心と体の痛みを知り、衝撃を受けながらも、互いに理解しようとする姿こそ「世界は愛で変えられる」んだと思う。

 この映画を息子の高校の学園祭クラス企画でやると聞いて、子どもたちには失礼だが、当時の政治的背景を理解できるんだろうかと最初はとまどった。しかし、DVDを参考にして戦争の歴史や在日の人々の生活、「イムジン河」の歌詞の意味などを自分たちで学習もしながら毎日練習している様子を聞いて、「がんばれ」と応援してきた。

 学園祭当日(9日)は本会議なので、直接高校に行き見れなくて残念。妻が出席し、ビデオを撮ってもらったので、早速夕御飯もそこそこにビデオ上映会をやった。芸達者が多くて、まじめなシーンの長いセリフややんちゃなシーンももうまくこなして、見ごたえがあった。正直言って想像を超えるマジメな姿勢に驚き、「今どきの高校生も捨てたもんじゃない。なかなかやるもんだ」とうれしくなった。
 

2008年8月17日(日)
 あっという間の夏休み。今年も広島と信州へ
 ガソリン代の高騰の中で、今年のお盆は移動や旅行を自粛する人が多い。

 そのなかでも、勇気を出して田舎の両親に子どもを連れて家族揃って帰省した。年々体が弱くなる両親に、孫の顔を見せるのがせめてもの親孝行かな、と思う。それを考えるとガソリン代もしゃーないか、と。
 私は合間を縫って近所の釣り池へ行って、30センチを超える鯉をゲット(写真右)。餌はスーパーで買ったソーセージだ。

 京都に帰り、経費節約で友人家族と車乗り合いで信州駒ヶ根にある友人のログハウスへ(写真左下)。
 昼間の日差しは厳しいものがあるが、やはり朝晩は結構涼しい。なによりも、ログハウスの庭から見える中央アルプスの景色がすばらしい。朝早起きして散歩しながら駒ヶ岳を臨んだ。雲が目線と同じ位置にあるというのがなんとも言えない不思議な感じがする(写真右下)。


2008年7月27日(日)
 
膳所高校のラグビー練習場の近くにある食堂は「デカ盛り」で有名
 桂高校ラグビー部の練習試合に久しぶりに応援に出かけた。行先は大津市にある膳所高校。

 県内有数の進学校でもある膳所高校は、いわゆる「文武両道」でラグビーは県内ベスト2でもある。

 専用の練習と試合を兼ねるグラウンドが学校の近くにあり、練習環境にも恵まれている。

 試合は一年生どうしと、レギュラー戦と二試合とも桂高校の圧勝だった。息子も活躍しておりほっとした。

 試合の始まる前に息子に聞いていた近所の食道をのぞいてみた。
 名前は「美富士食堂」、有名なのはその盛り方だ。
「デカ盛り」と呼ばれ、テレビや雑誌でもたびたび取り上げられている。

 ちなみに、入口を覗いたら、カウンターに赤旗「日曜版」が置いてあった。(^−^)

2008年7月21日(祝)
 友人のKさんの別荘(信州・駒ヶ根)はすぐれもの
 長年の友人であるK夫妻が老後の住処として駒ケ根にログハウスの別荘を購入した。しかもモデルハウスを基本に、さまざまな注文による設計変更をおこない、自分の理想の住処に近づけるというこだわりようである。

 ハウスの前面には芝生もあり、ペットの犬が自由自在に走り回り、敷地の周辺には季節の花と信州の樹木を植えて、将来が楽しみである。
 ハウスの手入れに毎週京都からでかけるという気合も半端じゃない。

 そこで、8月の桂高校ラグビー部夏合宿における保護者会のお手伝いの初日に宿泊所として借りることになり、下見に寄せていただいた。

 一晩泊り、半日過ごしただけだがすっかり気に入った。友人グループ恒例の夏休み旅行も今年からこのログハウスになった。楽しみがまた一つ増えた・・・(*^_^*)
 

2008年6月17日(火)
 
15日は「父の日」だったということを知ってましたか
 毎年、この時期になるとつくづく思うのが「父の日」の影の薄さである。
テレビのコマーシャルも、デパートやコンビニの宣伝も「母の日」と比べてずいぶんと位置づけが違う。

 しかしよく考えてみると、父と母を比べるのがおかしいのだ。日本の場合、家庭の中で家事や育児にあたる時間や子どもと接する時間は、一般的に母親に比べて父親のほうはずいぶんと短いのだから。

 そういう流れのなかでも私は、結婚し子どもができてから、家庭の中の家事と育児の分担、保育園や児童館での保護者会活動、小学校中学校でのPTA活動を自らの生活スタイルとして大事にしてきた。
 だから子どもには「おとん」として存在は大きいものがあると、自分勝手に思っている。

 それでも「父の日」が近ずくと、何やら心が落ち着かなくなる。
日曜日の夕方、晩御飯の前に久しぶりに家族全員がそろった頃、やおら「おとん、父の日のプレゼントや」と子どもたちがワインとハンカチを渡してくれた。嬉しさ半分、照れくささ半分、でもやっぱり嬉しかった。

2008年5月3日(土)〜5日(月)
 
ゴールデンウィークは親孝行と農作業、山菜とりに広島へ
      母親の車いすを押して、芝桜まつりの会場で  田舎の母親も脳梗塞を患って10年すぎた。今では老齢もともない外出は車いすでの移動である。家に引きこもりがちだが、週に何回かのディサービスが楽しみにして出かけているそうだ。一方、父親は、腰が痛くて農作業も一人ではままならず、近所の人に手伝ってもらって何とか米と野菜を作っている。

 今年も連休は3日から5日まで広島へ帰った。そこで、さっそく田植えの準備に汗を流し、お昼からは母親を連れて近所の「芝桜まつり」へ。赤や白、水色など色とりどりで数種類の芝桜が所狭しと咲き誇っている眺めは壮観だった(写真)

 ところで父親との話…田舎の農業は圃場整備で広がった水田に農機具の近代化が進み、同じ機械を各家が所有している。米の価格は下がる中で農機具の支払は大変。集落で共同購入し、共同利用したら助かるのではないか。と、父に問いをしたところ、「隣に声をかけたが断られた。」とのこと。田舎故に保守的で私有財産への思いが強いのかな?
 でも農業の今後を考えると、農家の意識改革も必要ではないか、という思いをもった。

 恒例の山菜とりは、タラの芽、タラの葉っぱ、ふき、ワラビ。近所の畑とあぜ道、群生している山際にいって籠いっぱいの収穫に満足。京都に帰ってから近所や友人におすそ分けしてもまだ残り、天ぷら、卵とじ、佃煮、と妻が得意の料理の腕をふるい、一時のヘルシーなベジタリアンに。

 
 

2008年3月21日(金)
 
娘もとうとう小学校を卒業。意外なプレゼントが・・・

   みんなとそろって「はいチーズ」

  お世話になったお礼の手作りのコースター
 卒業式の時期が来た。いつものことだが、この時期の市会は予算議会の真っ最中で、時間が取りにくい。しかし、今年は最愛の娘の卒業式でもあり、何とかしたいと思っていた。ちょうど団会議の日に当たり、団長に無理を言って午前中の時間をいただいて、式に参加した。みんな緊張しながらもはつらつと入場し、卒業証書をうけとっていた。

 そこで感じた事がある。ひとつは卒業生の紹介の仕方である。通し番号で「第●●号、○○▽▽」という名前の読み上げ方はどうも違和感がある。やはり、日頃学校現場で教えているように、さんづけで名前を紹介する方がいいと思うのだが・・・・。

 ふたつめに、市長や教育長の祝辞の紹介の仕方。過日の新聞でも報じられていたが、校長先生の卒業生に贈る言葉のあとに校長先生が読み上げるのだが、せっかくの先生の言葉が艶消しになってしまう。全校共通の祝辞なのだから、プリントにして配布するような配慮をしてもいいのではなかろうか。

 そして、いつもの「国歌斉唱」である。国旗や国歌には様々な意見や思いがあるもの。だから文科省も「内心の自由にはふみこまない。強制しない」としている。しかし、「一同起立」のあとにそのまま「国家斉唱」となれば、着席するには決意と勇気がいる。ちなみに、私は来賓として壇上などで紹介される場合を除いて着席することにしている。

 仕事が終わり帰ってみると、娘から「お母さん、お母さんへ」との手紙と、「お世話になりました」と手作りの紅白のコースターを貰った。学校でみんなで作ったらしいが、なかなかの気配りである。うれしかった。ありがとう。



2008年2月10日・14日(木
 今日は世に言うバレンタインデー。本命チョコに友クッキー、ついでに私の誕生祝いももらった

 今年もバレンタインデーがやってきた。

 6年生の娘が、お小遣いで「チョコマフィン」の材料を買って、一人でつくっていた。本命のチョコの前に、私の誕生日(10日)
にもつくってくれた。説明書をみながら、手際よく作っているのを見て感心した。そして出来上がったマフィン(左写真)がなんとめっちゃおいしいかったのに、二度びっくり。本命の前の試作品とはいえ、うれしかった。

 そして14日には本命のマフィンを作りながら、友クッキーも作っていた(右写真)。生地をこねて、延ばして、型をとって、卵の黄身を塗って、オーブンで焼いてできあがり。試食をさせてもらったが、これまた実においしかった。

 できあがったのを、小分けして袋に詰めて、学校から帰ったあとに友だちといっしょに配達にまわっていた。実にほほえましいものだ。 

2008年1月7日(月)
 
熱戦に感動。高校ラグビーにはまっている
 正月恒例の全国高校ラグビー選手権大会、伏見工業は残念ながら準優勝に終わった。負けはしたが、伏工の持ち技である超高速展開ラグビーを最後までつらぬいて、後半最後の10分間の攻撃は見ごたえがあった。同時に本来の個人技ではなく集団の防御で守り抜いた東福岡もさすがだった。中身の濃い決勝戦を演じた両校に拍手を送りたい。

 今大会は、尾道高校、長崎北陽台とノーシード校がシード校を破って勝ちあがったことが話題になったが、可能性を秘めた高校生ラグビーの真髄を示していたと思う。何がおこるかわからない、そこが魅力だ。

 私の息子も、秋季大会で準優勝した結果、1月2日から5日まで北九州市で開催された、花園の全国大会に準ずるサニックス2008ワールドユースラグビー交流大会予選会に出場した。残念ながら16校中14位という結果だったが、練習の仕方、試合に臨む意識など全国の強豪チームと対戦する中で得るものは多かったようで、帰ってからも負け惜しみでなく「負けてよかった。このまま勝っていたら次の公式戦でずるずると負けていたと思う」と語っていた。

 公式戦は1月19日から始まる。市長選挙に全力を挙げつつ、時間をみつけて応援に行きたい。
 決勝戦で後半5分、見事トライを決めた伏工井口主将
               (ヤフーネットから転載)

2007年12月31日(月)
 
広島は大雪、今年初めての雪に子どもは大喜び
 年末の一時、29日から31日まで広島の田舎に住む両親のところに妻と六年生の娘と一緒に行ってきた。

 天気予報では29日から広島は雪になるとのこと。その通りで29日の夜半から風が強くなり、
30日の朝には外一面の銀世界(写真左)。今年初めての雪に娘は大喜び、さっそく「手袋ないか」と探して雪だるまを完成(写真右)。

 子どもは雪の子だからそれでいいが、私は内心ビクビク「この雪で京都に帰れるんだろうか?」。31日の朝には積雪15センチになり、車の上はつららが下がるほど。しかし、広島行きの前に冬用のタイヤに交換しておいたのが功を奏して、何とか出発できた。県道まで出るともう大丈夫、あとはすいすいと京都まで帰ってこれた。

2007年11月18日(日)
 娘の誕生日、ケーキとごちそうでお祝い。息子は高校ラグビーで準優勝
 我が家恒例のバースデー月間がいよいよ始まった。11月(次女)、12月(長女)、1月(母)、2月(父)、3月(長男)と続くもの。

 今日はお昼にうれしい出来事。今年の京都府高校秋季選手権ラグビーフットボール大会、いわゆるセブンズ(7人制)の大会で、息子が副キャプテンをつとめる桂高校が、準優勝したのである。決勝戦の相手は伏見工業高校。さすがに体力と名前に負けてしまったが、堂々の準優勝に本人も私も家族も大喜び。

 夕方は、妻と娘と買い物にいき食材を買い込んで、準優勝のお祝いと誕生日のお祝いを。娘も大の料理好き。特大ハンバーグをこね、海老フライの衣をつけてお手伝い。カルパッチョに牡蠣料理と久しぶりのごちそうに家族そろって舌鼓。

 バースデーケーキは、近所の有名なタンタシオンのチョコケーキ。ろうそく12本並べてお祝いした。

2007年9月15日(土)

 
娘は小学6年生、小学校最後の運動会

 下の娘は小学6年生、今年は最後の運動会。みなさんに無理をお願いして朝から最後まで観戦させてもらった。

 娘も「最後の組体操は絶対に見に来てや」と言って毎日その日の練習の話や苦労しているところなどを話してくれた。今どきの親子関係で、そこまで言われたら何を置いても行かなければならない。
 長いこと壊れて使っていなかったビデオカメラをデジタルカメラに買い替えて準備万端。会場の小学校に向かった。

 開会式に続いてダンスの演技、今はやりのビリーのダンスを取り入れてなかなかのもの。お昼をはさんでハードル競走や綱引き、100メートル走などに続いて、いよいよ組体操。

 二人一組の体操も背中がシャンとしてきれいに決まっている。ピラミッドでは昔を思い出しながら、下の方の子どもに対して「がんばれ、がんばれ」と思わず声が出る。バランスやタイミングもうまくあって成功して、会場からも大きな拍手。

 当り前のことだが、組体操はお互いに信頼し、下の相手を思いやる気持ちがなければうまくいかない競技である。学校二期制のもとで練習時間がうんと少なくなっているなかで、先生も子どもたちも集中して気持ちを合わせる練習に励んだことだろう。その頑張りに花マルと拍手。
      ぴったりきまって、ハイポーズ

 2007年6月17日(日
  今年もやってきた父の日。ポテトサラダとネクタイにポロシャツ
 小学六年生の娘は、家庭科で習ったばかりのポテトサラダを作ってくれた。

 じゃがいもを細かく切って鍋でゆでながら、ゆでた卵の殻を上手にむいて、みじん切りに。キュウリは母に教えてもらいながら輪切りにしていく。そしてゆであがったじゃがいもをスプーンでつぶして、そこに先ほどのゆで卵ときゅうりをまぜあわせて、塩コショウとマヨネーズで味付けしてできあがり
(写真)

 出来上がったポテトサラダをほおばると、本当にうまかった。しあわせを実感。
 今年、大学に入ったばかりの娘はネクタイをプレゼントしてくれた(写真)。最近はクールビズでノーネクタイでいたが、さっそく次の公式行事にはこのネクタイをしめていこう。

 息子は、今年はワインを休憩してポロシャツをプレゼントしてくれた
(写真)。これは次のレジャーの機会に着ていこう。

 このネクタイをポロシャツを見かけたらこえをかけてください。そこにはきっとにやけた私がいるでしょう。

2007年5月7日(月)
 
4日から6日まで広島の実家へ。山菜をどっさり収穫
近所に群生しているタラの芽
世羅のブドウで作ったワイン
 
この最近、5月連休は広島の実家に行っている。以前は三人の子どもと夫婦の5人で行っていたのだが、上の二人は民青の活動やクラブ活動で京都に残り、4日から6日まで末の娘と三人で行った。行きは混雑を想定して亀岡から丹波篠山に抜けて姫路から山陽自動車道に乗った。 大した渋滞や混雑もなく帰れ、迂回して大正解。

 昨年から家の周りや近所の山菜採りにはまっている。今年は4月に暖かい日が多く、タラの芽が一週間遅かったのが残念。しかし、写真のような見事なのがけっこう採れた。さらに、ワラビ、ぜんまい、ふき、ヨモギ、をかごいっぱい収穫。さらに家の庭に植えてある山椒、みょうがもしっかりいただいた。

 さらに、父が作った無農薬採れたての野菜と昨年の新米もお土産にもらって帰った。やはり持つべきものは親である。ただでもらってばかりでは親不幸なので、広島にいる間のおかずや外食代は我が家持ち。親父の好きな焼酎をお土産に持って帰ったのは言うまでもない。
 
 帰りに昨年できた「世羅ワイナリー」に寄ってここでしか売っていない世羅ワインを購入。京都に戻り、友人に山菜やワインをおすそ分けして、我が家でも妻がさっそく料理し食べた。
とってもおいしかった・・・。

2007年1月21日(日)

 
今週号の京都民報を読みましたか?
 今日付けの京都民報8面の@いんたびゅーは今年のラグビー全国大学選手権準決勝で早稲田とスクラムで互角の戦いをした京産大のラガーマン(左写真)

そのインタビュアーを務めたのが、桂高校ラグビー部所属のわが息子の夢斗(右写真)

公式戦が直前で、練習が終わったあとの八時くらいから民報記者に同行し、取材。

親が言うのも何だが、シャイで人見知りの性格なので少々心配だったが、紙面を見てホッとした。

ちなみに、本日の春季リーグ戦第一試合が公式戦初先発、結果は接戦で勝利した。

2006年12月9日(土)

 
京都府学連再建40周年を記念して
  京都の学生運動と社会進歩を語るつどい

 つどいを記念して刊行された冊子に寄稿した私の拙文を紹介します

  青春そのものであった府学連は永遠の思い出           
                                   井坂博文

 1974年、広島から京都に出て来て立命館に入学した田舎者の私が学生運動に染まるのはあっという間だった。当時のクラス援助担当者(略して援担)の上回生に「一度、歌う会に来てみないか」と誘われて合唱団「若者」に入団し、クラス役員にも祭り上げられて、学生大会や自治会活動にのめり込んでいった。

 そんな私に77年、三回生の夏に突然「今度の府学連大会で書記長になってくれ」と言われ、あれよあれよという間に大会の当日を迎えた。大会もクライマックス、最後は恒例の「国際学生連盟の歌(国学蓮)」の全員合唱。それをリードするのが大会で選出された書記長の初仕事である。しかし私はとっても緊張していた。リードを始めたものの「わが行く手を守れ・・・」の歌詞をなんとインターナショナルのメロデイーで歌っていた。一瞬会場はシーンと静まり返り、その後は爆笑の渦・・・。すっかり自信を失った私は、その後半年間は集会やデモ行進の集約集会の時の「国学蓮」をリードする仕事を書記次長にお願いした。忘れられない失敗談である。

 任期中の思い出は数知れない。初めての女子大学へのオルグ、一万人の「春のビッグフェステイバル」、京大吉田グラウンドや円山音楽堂での5千人全京都学生集会でのアジテーション(どうもこの快感が今の仕事につながったのかも知れない)、勝共連合・ネズミ講・悪徳学生ローンの三悪追放運動(これも今の生活相談活動につながっている)、等々。そして78年の府知事選挙、蜷川さんの後継として杉村候補をたててたたかった。全学連大会で特別決議をあげて会場から全国の支援部隊も来た。府学連は宣伝と同時に当時革新勢力の最大の妨害者であった勝共連合と街頭で渡り合ったのも懐かしい思い出だ。

 77年夏の大会で委員長に。任期は一年、結局5回生になるのは確実、しかしそれが当時の府学連では常識であった。そして翌78年の夏休み、キューバで開かれた世界青年学生平和祭典に京都代表で参加、初めての海外を経験した。そして劇的であったのは、その間に全国的に学生運動の課題とサイクルに見直しがおこなわれ、基本的に留年しないこと、任期の節目は年度末にすることが決まっていた!! 帰国後に大会を変更して評議委員会を開催して、府学連で初の委員長代理を置くことを決めて、書記長を代理にたてた。共産党の専従を決意していた私は民青同盟府委員会の仕事に異動し、79年春の府学連大会で正式に府学連を卒業した。

 貴重な学生時代に様々な経験とドラマを体験した京都府学連は私の青春そのものである。             


2006年6月19日(月)
 今年もやってきた父の日のワイン

 母の日と比べてもまったく陰の薄い「父の日」。だけどもわが家の生活は、父として私の存在がなければ成り立たない、と自負している(※自分で思いこんでいるから”自負”と言うのだろうが・・・)。
 それでも、子どもたちから何らかのアクションがあると思っていたが、18日当日はナンの音沙汰もなし。下の娘に水を向けても「あ、忘れてたわ」との返事。
 ところが翌日の夕食を食べていると、高校のクラブ活動を終えて返ってきた息子が「おとん、今年は去年よりグレードアップしたで」と言いながら、ぶっきらぼうにワインを差し出して来たではないか。これにはビックリ。
 息子が言うには「近所の酒屋さんで、訳を話したら売ってくれはったわ」とのこと。去年もそこで買ったものの、500円のラベルが貼ってあったのは去年のこのページに書いてあるとおり。
 今年は「もうちょっと高いヤツやで。白ワインで辛口のを聞いたら、これを勧めてくれはった」と自慢そうに話す息子に、「いい子どもをもったもんだ」と嬉しくなった。
 
 同時に、今年も田舎の私のおやじに、焼酎を送ったことはいうまでもない。
     自慢層にワインを掲げる私

2006年3月15日(水)
 
長男が卒業式、保護者を代表して謝辞を
   卒業式の最後に卒業生の合唱

 卒業生のみなさん、保護者のみなさん、ご卒業おめでとうございます。

 早いもので、初めての制服に大きなリュックを背負って、わが子がこの体育館で入学式を迎えてから三年がたちました。希望をもって旅立つ卒業生のみなさんに心からエールを送ります。そして、三年間子どもたちを見守り、時には厳しく、時にはやさしく、のびのびと育てていただいた先生方に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。

今、日本の子どもをとりまいている教育や社会は多くの課題を持っています。国連子どもの権利委員会は、日本政府への勧告のなかで、「極度に競争的な教育制度によるストレスのため、子どもが発達のゆがみにさらされている」とする批判をよせています。世界でも異常な競争と管理中心の教育が、子どもの心と成長を傷つけ、「勝ち組・負け組」の言葉まで生まれています。そのなかで、自分の存在を肯定できず、認めることもできずに悩み、苦しんでいる子どもが増えています。

このようなときに、嘉楽中学の子どもたちは三年間のかけがえのない中学生活やクラブ活動を通して多くの先生や友と出会い、学び、成長することができました。二年前に卒業した娘が今でも「中学校は、友達関係も授業もとても楽しかった」と懐かしそうにふりかえっています。

一人一人の生徒に対し,個に応じた能力の伸長をはかり」「将来の夢を実現するために自らを磨き続けられる人間の育成」をめざすという本校の教育目標が、生命力を発揮するのはこれからです。未来の主権者として一人ひとりの子どもの発達と成長を何よりも大切にしていただき、卒業生がいつでも遊びに来たくなる学校と先生であり続けていただくようお願いいたします。

卒業生のみなさん。みなさんに「みんなは一人のために、一人はみんなのために」ということばを送り、みなさんがいつまでもあなたらしさを発揮し、大事にして、これからの人生において活躍されることを願いまして保護者を代表しての謝辞といたします。


2006年2月14日(木)
 
バレンタインもなかなかいいもんだ。
 「バレンタインってしょせんチョコレート会社の宣伝さ」って無粋なこと言わずに・・・と書いたのは三年前の今日だった。
 当時小学一年生だった娘が今年はもう四年生。その娘がお母さんと相談してチョコレートのプレゼントをくれた。
 袋の中にはプチチョコ、それぞれにアルファベットが書いてあって、並べ替えるとなんと「I・L・O・V・E・Y・O・U」になるもの。なかなか考えたもの、嬉しくもあり感激。
 皿の中は、娘のつくったチョコケーキ。セットを買ってきて、作り方の説明書を見ながら、分からないところはお母さんに聞いてオーブンで焼きあげたもの。おっかなびっくりで一口食べたところ、なんとおいしい!児童館や学校で手作りおやつをつくっているとは聞いていたが、けっこうやるもんだ。


2006年2月10日(金)
 
今日は50回目の誕生日。とうとう私も50歳の大台に
 いよいよ、私も50歳!!半世紀を生きてきたことになり感無量である。かつて10代、20代の頃、周りの大人を見ていて自分が50歳になることのイメージが持てず、青春を謳歌してことが懐かしい。
 しかし、50年も生きていると体のあちこちが痛んでくる。病院とのおつきあいも増えてくる。しかし、宮本顕治さんの保健思想ではないが、日本共産党を職業としているうえで社会の民主的変革をめざす者として、自分の体と健康に責任を持つことは、有権者と国民への責任でもある。定期的な診察と検査を今後も続けたい。
 昨年、日本共産党市会議員団が発足して50周年となり、12月にはその祝賀会を開催した。私の人生と同じ時間を過ごしてきた党議員団に、今所属していることは私の誇りでもある。その任務をまっとうしていくために、次の50年を一歩一歩歩いていきたい。写真は妻の手料理と私の肉じゃが(左)と三人の子どもがつくったケーキ(右)
 みなさんよろしくお願いします。
 

2006年1月9日(祝・月)
 
歴史的豪雪のなか、広島でかまくら作り。正月明けには木下大サーカス
 今年の冬は歴史的な豪雪にみまわれ、東北や信州では大被害が発生し、連日の報道に心を痛めている。
 そんな中で申し訳ないが、年末に故郷に里帰りし、裏庭に積もった雪を見て、久しぶりにかまくらを作りたくなり、子どもに声かけて作業にとりかかり、写真のものが完成した。
 意外だったのは、日頃はクールを装っている中三の長男が「俺に任せとけ」とばかりに、途中から一人で完成させるまですっかりはまってしまったこと。

 正月明けには、萌と親友の七海ちゃんを連れて三人で今京都で公演中の木下大サーカスに行った。数年前にも行ったが、今回は「スーパーミネラルイルージョン」と称してずいぶん充実していて予定の2時間があっという間にたった。ライオン・とら・ヒョウ10頭が競演する猛獣ショーや7bのキリン、4頭のシマウマによるサファリスペクタルはヨーロッパからの特別出演。ピエロはアメリカ、空中アクロバットはロシアからも特別参加。
 他にも大奇術やバイクショーには歓声をあげ、空中ブランコには手に汗を握り、しっかり引き込まれていた。
 終わってから、子ども達は「おもしろかったね。○○がよかったと口々に語り、興奮気味に喜んでくれた。


2005年11月19日(土)

 萌の誕生日。お祝いは手作りのハンバーグとケーキ


 末っ子の萌が早いもので10才になった。今流の言い方で言えば「二分の一成人式」である。
お祝いを何にしようか、と考えて手作りの料理とケーキになった。というのも、児童館での手作りクラブにがんばり、
家でも最近料理の手伝いをよくしてくれているからである。
 下の日記にある阪野さんがケーキのスポンジを焼いていただいて、あとのクリームを塗ったりデコレーションは萌
が一人でつくった。ケーキの上の字も本人が書いたもの。
 メインデイッシュは超特大のハンバーグ。こちらはお母さんが心を込めてつくったもの。
私は、といえば21日の本会議質問にむけて最後の仕上げでパソコンに向かってねじりはちまきだった。
しかし、心はしっかり萌えのほうにむいていたのは言うまでもない。

 そんななかでハプニングが発生。ケーキにろうそくを立てるのをすっかり忘れて、等分に切った後に萌が「あっ、忘
れてた」と気がついたものの、時すでにおそし。仕方がないので、自分の取り分に1本だけたてて「ハッピーバースデ
ー」をうたって、ろうそくを消した。いやはや、そそっかしい親子である。


2005年9月18日(日)
 国産小麦100%のパンを娘と共同製作
   
 わが地元紫野学区の新婦人が開いた「国産小麦を100%使ったパン試食会」がわが家で開かれ、私も特別参加した。
 家族ぐるみの友人である阪野さん(右の写真の女性)を講師に、ボールに小麦と水を混ぜ合わせて手でこねる作業を開始。「やっぱり男の人がこねるとよく締まるね」とおだてられ、単純な私はすっかりその気になってボールに勢いよくたたきつけながら「手ごねハンバーグ」の要領で娘と共同してパン生地を完成(左写真)
 その後は専門家にまかせ、私は地域の活動に参加。2時間ほどこくた衆議院議員らと宣伝行動にでて帰ると、おいしそうなパンとケーキに変身していた(右写真)
 「日本の大地から安心して食べられる食品を」と頑張っている新婦人や農民連のみなさんに感謝しながら、パンをかみしめたことは言うまでもない。

2005年6月19日(日)
 今日は父の日、息子からワインをプレゼント


  これがそのワイン
 今日は父の日。インターネットの情報によれば「父の日は節分よりも知られていない陰の薄い」日だそうである。
 さよう朝から何の話題にもならず、あせってこちらから「今日は何の日jか知っている?」と水を向けると「ああそうやったっけ、忘れていたわ」とつれない返事。

 それでも小学生の娘は「赤旗しんぶん」の「まんまる団地」の「見えないネクタイ」をプレゼント?一緒に大笑いをした。
 せめて夕食は特別に、と回転寿司(特別でもないか・・・)に。帰ってしばらくすると息子が「ほれ、父の日のプレゼント」とワインをくれた。受け取ってラベルをよくみると、「500円」の価格シールが目に入った。しかし値段ではない。気持ちが嬉しかった。

 こんな子ども達に囲まれた私は幸せ者である。
 
 そうそう、田舎に住む私の父にも大好物の焼酎を送ったことは言うまでもない。



2005年6月15日(水)
 
久々の休暇をとって、妻と箱舘山へ

    見事に群生するカキツバタ

 岩陰からこちらを見つめるカモシカ
 5月の連休以降、5月市会や「党躍進大運動」などでまともに休みがとれていなかったので、思い切って(というのも本来はおかしいのだが)一日休暇をとって妻と一緒に箱舘山へドライブとハイキングに行って来た。

 山歩きの専門家である議員団事務局長の馬場さんから「今の時期はここのカキツバタが最高だよ」と教えてもらって箱舘山にした。事前の天気予報では70%の降水確率だったが、「天はわれに味方した」とばかりに南方の梅雨前線が高気圧に抑えられて北上できず、見事に天気予報ははずれて、絶好のハイク日和。

 本来はスキー用に設置してあるゴンドラで頂上まで上がってそこから歩く予定だったが、入り口にはなんと「6月13日から7月15日まで運転休止」の張り紙!!そこで林道を車で走って頂上近くの「ビラデスト今津」に直行して、そこに車を置いていざハイキングへ。歩いて15分ほどのところに「平池」があり、群生するカキツバタが見事に咲き乱れていた(写真左)。ちょうどお昼になり、そこで妻特製のお弁当で腹ごしらえ。やっぱり外でたべるのはうまい。
 その後は、ビラデスト敷地内のハイキングコースを2時間ほど散策。木漏れ日のなかを気持ちよい汗をかきながら歩くと多少のアップダウンも苦にならないのは不思議。しかも途中でキツネや親子連れのサルにであってビックリ。

 頂上を後にして林道をしばらく走ると「処女湖」がある。なぜ「処女湖」という名前をつけたのかわからないまま横を走り抜けると、突然前方にカモシカがいるではないか!!車を止めて驚かせないように写真を撮った(写真右)。写真真ん中の岩の左側にカモシカの姿が写っているのがわかるだろうか。
 さらに朽木まで走って、温泉「てんくう」に到着。10年ほど前になるが温泉ができたはじめの頃、町内会のみなさんと一緒に行ったことがあるが、その頃とくらべてずいぶん施設も広くなり、プールや休憩所、レジャー施設も作られて見違えるほどになっているのにビックリ。温泉で汗を流して、疲れた体を癒すことができた。

 やはり、日頃の仕事や生活とメリハリをつけてりフレッシュすることは大事である。仕事や生活に新たな意欲がわいてくる。また日頃何かとすれ違いが多く、ゆっくり会話できない夫婦の対話にもなる。みなさんもどうですか?

2005年5月3日〜5日(木)
 
今年の連休も家族で、倉敷・チボリ公園、広島、明石に
  夕暮れの美観地区で(娘がカメラマン)  3日の早朝6時に京都を出発し、名神〜中国道〜山陽道を経由して倉敷に着いたのは9時。近くのパーキングに車を入れてさっそくチボリ公園に。連休中につき開園時間がちょうど9時だったので、グッドタイミングでした。高速道路や鉄道駅からのアクセスも便利なのはいいとしても、デンマークのチボリ公園を真似たものといいながら、子どもの遊園地という感じで遊ぶには手頃だけれども、テーマパークとしてはいまいちというのが率直な実感。それでも夕方まで、ジェットコースターや飛行機、空中ブランコや観覧車、ボートなど結構子どもは楽しんで遊び、大人は買い物に。
 その後は、倉敷市内の美観地区を見学。白壁に黒い瓦と落ち着いた雰囲気は最高、が観光客が多くて若干興ざめ。視察でも二度来たことがありますが、それでも借景も遠景も工夫して美観を保存している努力には行政と住民に頭が下がる思い。これと比べて、船岡山南のマンション問題を見た場合、ずいぶん遅れているなと改めて痛感。
 美観地区を後にして、一路広島の実家に向かい、9時過ぎに実家に到着し、今日の日程は終了。ビールを飲んで「お休みなさい」。

 二日目(4日)はゆっくりと起きて、車で20分ほどにある「せらにし旅行村」に。この旅行村はバブル時代に町営でつくられたレジャー施設だが、古今東西よくある話で、今日は満員だがシーズンオフは閑古鳥が鳴く状況だそう。
 その上に昨年の町村合併で、お荷物施設となってしまい「廃止か民間売却か」という憂き目に、という話でもちきり。他にも村おこしの施設が同様に民間委託になりそうということ。
 そういう中で、毎年の息子との魚釣り競争。今年は小4年の娘も参戦し三人で競争。結果はあえなく敗退、息子が数でも大きさでも優勝。あっさりとかぶとを脱ぎました(写真)
 昼には両親とわが家族で町内のレストラン(食堂かな?)で食事。酒好きのおやじに飲んでもらい、少しは親孝行。
 家に帰ってからは、家の田圃の畔に群生している蕗を両腕に抱えられないほどいっぱい採取。その周辺にはなんと山菜の王様「タラの芽」が同じように群生しているのにはビックリ。「いなかはいいなー」とおもわず笑顔に。
 一日ゆっくりして、5日は朝に広島を出て明石に住む友人を訪ねて昼ご飯をたべて夕方には京都に到着。
 夜は、今宮神社の祭礼で「こどもの日」に恒例の嘉楽中学PTAパトロールに参加。ここ最近の毎年のことだが、まつりに来る子どもよりパトロールの大人が多いのは寂しい限り。回っているとわが息子も友人と戯れているのに遭遇。声をかけてパトロールも終了。
 三日間の連休はこれで終わった。
        釣果を誇る息子

2005年3月26日(土)
 
今日は娘の学童クラブ(保育所)卒館式
 早いもので、私の子ども三人の最後の学童生活が終わった。
紫野児童館の学童クラブは、保護者会の活動も活発で私も長年保護者会会長や書記などの役員をつとめてきた。
 学童クラブは両親が共働きの小学生が放課後の生活を安全に過ごすための施設であると同時に、親が安心して仕事ができるありがたい施策である。
 それとともに、保護者会のとりくみや児童館の行事をつうじて多くの友だちやつながりができたのも大きな財産であった。子育ての悩みや喜びというものは、この時期にしか味わえないものだし、それを共感できる友人をもlてるのもこの時期でしかない。これからも大事にしていきたい。
 その思いをもって、今年から学童クラブOB会(約50人)の会長を引き受けることになった。
 写真は卒館生が共同で作成した切り絵(持っているのはお世話になった館長先生)

2005年3月20日(日)

 
息子のラグビー部の卒部式で冷や水

 嘉楽中学二年生の長男はラグビー部に入って毎日汗と泥まみれになっている。嘉楽中学といえば、かつてはY先生という鬼顧問がいて伏見工業高校に何人も進学する子がいる一方で、いろいろと不協和音も聞こえていたものであった。いわゆる「スポ根」の典型であった。それが、今は若い先生が顧問になり体罰とか強制とかとはいっさい無縁のクラブへと生まれ変わっている。そして支え役として保護者会が唯一あるクラブである。
 その保護者会が三月のこの時期には卒業式を前後して、ラグビー部の卒業式ともいうべき「卒部式」を行うのが伝統となっている。これも昔は、ホテルを会場にしてOBを招待してかなり派手にやっていたそうであるが、今は学校を会場にして(したがってノンアルコール)、部員と保護者の手づくりの式になっている。しかし、顧問の先生から卒業生についてお祝いと激励の言葉が贈られ、一人ずつ三年間の思い出と進学にあたっての決意をつたない言い方だが自分の言葉で述べていくのは感動的である。それが下級生の部員の頑張りに繋がっていくのである。
 その前に部員と保護者とのミニ試合が行われるのが、これまた伝統になっている。私はラグビーはテレビで観戦し、息子からルールを耳かじりしているだけの門外漢である。その私が、経験者の保護者と一緒にチームをつくり、現役の部員と試合をするのだから、それこそ「なんとかの冷や水」である。15分ハーフの試合だが、とにかくボールにさわるのが精一杯、パスを前にしたり、タックルされてひっくり返ったり、息子からは「二度と来るな」と言われるし散々であった。しかし、肩で息をしながらでも体を動かすスポーツはいいものだ。来年は息子の卒部式である。密かにトレーニングしてまた試合に出ようかと思っている。

2005年1月19日(水)
 娘の一言にドキリ
 毎日の日課で小3年生の娘とお風呂に入っているときの話。
 突然、娘が「お父さん、萌のこと好きか?」と聞くので「大好きだよ。でもなんでそんなこと聞くの?」と聞き返すと、「だって、さっきお母さんとお姉ちゃんとお兄ちゃんと三人で百人一首やって遊んでいるとき、お父さんだけパソコンでお仕事していたから」とぽつり。
 「そんなことないよ。こうやってお風呂に一緒に入っているやろ」と言うと、「お風呂は遊びとちがうもん」と言う。
 「参った」の一言。子どもは自分の目線でまわりを見ていることを忘れていた。苦笑いしながら「お風呂を上がったらトランプしようか」と言うと、嬉しそうに「うん」と答えた。
 約束通りその後、布団の上でトランプをしたのは言うまでもない。「ポーカー」に「大富豪」と時間のたつのを忘れて遊んだ。娘は結構つよくて、何回かトップに立って「やったー」と喜んでいる。その笑顔を見ながら、「子育ては教えることばかりではなくて、いっしょに遊ぶことも大事」とあらためて思った。
 逆に、子どもに教えられたひと時であった。


2005年1月10日(祝)
 小学校のおやじの会でマラソンを激走

 今日は成人式。子どもの通う小学校の「おやじの会(略称:パープルキッズ・プラザ)」主催の企画が取り組まれ、私も役員として参加しました。今回で今年4回目の企画で、父親の交流にもなり、子ども達も楽しみにしずいぶん定着しています。今日は50人をこえる子ども、10人のお父さん、20人近いお母さんが参加しました。
 まず最初の企画として、学校から鴨川までのランニングです。お父さんが主要な交差点で交通整理しながら往復3・2`を走り、河川敷では北大路橋と出雲路橋を回る3・5`のタイムレース。私もフルコースを走りきり、学校に戻ったときには膝がガクガクでした。一緒に参加した娘(萌)は、練習なしに走ったのが響いて途中で無念のリタイア。
 帰った学校にはお母さん達が作った「餅入り豚汁」が用意され、子ども達は次々とおかわりし、私も二杯食べました。とってもおいしかったです。
 そして10歳になる4年生に「1/2成人式」として特製カード(同じマンションに住む方と私とで作りました)とお菓子をプレゼント。子ども達はとっても喜んでくれました。


2004年9月25日(土)

 運動会と児童館卓球大会でがんばった萌に拍手

 9月18日に小学校の運動会があった。萌は二学期が始まり練習の時から「100b競争と障害物競走で絶対1位になる」と宣言し頑張っていた。その気持ちに応えるべく当日はPTA役員の関係もあり親ばかよろしく夫婦で見学にいった。宣言どおり両方とも見事1着でゴール(左写真は障害物競走でのゴール寸前の玉入れのシーン)  1位になったこともうれしいが、目標をもってがんばりそれをやり遂げた萌に何よりも拍手を送りたい。昼からは仕事で中座したところ、三時過ぎに会議中に萌から携帯に電話。何事かと休憩時間にかけ直すと「あんな、萌の白組な最後に逆転して勝ったで。バイバイ」との報告。よかったね!
 25日には児童館の行事で、「敬老の日」にちなんで「ふれあい卓球大会」があった。その日は新婦人の恒例の稲刈りであったが、大の親友が卓球大会に参加するので母からの誘いを振り切って卓球大会を選んだ萌。毎日練習を重ね期するものもあったのだろう。その親友が早々と敗れてしまったものの、がんばって4位に入った。そして館長先生から特別賞をもらった
(右写真)児童館から帰ってとっても嬉しそうに報告してくれた。同時に親友が負けたことにも心を寄せて「本当は強いんやで」としきりにかばっていました。がんばり屋で友だち思いの萌に拍手!!

2004年9月23日(木・祝)

 「思春期の性と生」学習会で日頃の子育ての悩みを交流

 「子どもと性について語り合っていますか」と聞かれ、どれだけ自信を持って「いる」と答えることができるだろうか。
 子どもと向き合って子育てをしているつもりでも、自分の成育過程での負のイメージが強く、自分の殻をうち破って子どもに語りかけるのは難しい。しかも正しい知識を持ち、自分の言葉でしゃべることに躊躇する親が多い。かくいう私もそうである。
 その意味で今回の学習会は一つのきっかけになった。まずこのテーマで親どうしが一堂に会して話を聞くこと、自分の思いをその場で語ること、まず自分をさらけ出すことから始めること、が求められるからである。
 講師の先生から「子どもが最初の精通経験した時にどう話しかけるのか、恋人ができたとき相手の心と体を思いやるためにもコンドームの使い方を教えるのはお父さんの出番」と言われた。正直「まいったな」と思った。その気持ちを素直に口に出して質問してみた。参加していた父親の顔もうなずいて見えた。
 まずできるところから始めてみよう。講師も言っていた「性という字は、人と生が一緒になったもの。心が生きると書いて性と読む」の言葉が印象的だった。親と子がその気持ちで話し合えば、巷で起きている心の痛むような事件は無くなるではないか。そう感じることのできる学習会だった。

2004年8月4日(水)〜7日(土)

 
念願の沖縄平和ツアーに家族で行きました(活動日誌にも掲載)
 
上の子二人は初めての飛行機を体験し、石垣島に到着 早速「グラスボート」に乗って珊瑚礁とお魚を見学。この珊瑚礁を壊して米軍飛行場の建設は許せません

石垣島最大の鍾乳洞を見学。1ミリ伸びるのに3年かかると言います。自然の壮大さに驚きました。同時にこのような鍾乳洞が戦争中は「避難壕」になっていました
途中にとってもきれいなハイビスカスを見て、思わずパチリ
沖縄本島最南端の岬にある平和の塔 ひめゆり平和祈念館をゆっくり見学。戦争の愚かさと「沖縄を守るため」と言いながら、沖縄の住民を盾にした軍部に家族そろって怒りました
地球が丸いということを実感できる水平線です 石垣島から本島に移動する際の上空から見た沖縄

2004年5月5日(水)

 今年の5月連休は2日から4日まで広島に行きました

   大久野島にある毒ガス貯蔵庫の跡です
 道路混雑を避けて、2日の朝4時に起きて5時に出発。10時過ぎに最初の目的地「大久野島」に到着。6年前にも議員団の視察に行き、いつかは家族でも訪れようと思っていました。この島は戦争中日本の軍部が毒ガス製造をおこなったために、当時の地図から消された島です。製造工場の跡地には資料館があり、毒ガスを製造するための清水焼を使った装置も展示してあります。今は当時の製造にかかわった人の証言をビデオで上映しています。島の周囲は約4キロメートルで京都御所とほぼ同じ広さで、自転車のレンタルもしてありすぐに回れます。崩れかかった製造工場も残されており、当時を偲ばせています。私の子どもたちも毒ガスの悲惨さを少しは感じたみたいでした。また毒ガスが漏れた場合の発見のために放し飼いにされていたウサギがそのまま生き残り、島内の至る所に出没し、観光者や子どもを楽しませてくれています。ウサギと戯れながら、ホテル前の広い広場で久しぶりに子どもたちと汗を流して遊びました。
 ホテルは満室のために今回は宿泊を断念し、おいしいたこ料理に舌鼓をうったのちに広島の実家に向かいました。3日は曇り空の天気でしたが、いつもの旅行村にいき、いつもの釣りを楽しみました。去年のリベンジをねらって息子と釣果を競いましたが、今年は数でも大きさでも息子に完敗でした。それどころか、わが息子は岸辺に寄ってきた体長50センチものナマズを網で一すくい、見事すくい上げました。その後、温水プールと温泉に浸かって汗を流しました。
 4日もゆっくりする予定でしたが、義弟のお母さんが亡くなられたので通夜と告別式のために、予定を早く切り上げて京都に帰りました。
 今年の連休はこれで終わり。明日から5月市会にむけて仕事生活に戻ります。



2004年4月8日(木)

 長らくご無沙汰しています。きょう4月8日は小・中学校、高校の入学式です。 長女の結希(ゆうき)が入学した紫野高校の入学式もあり、妻と一緒に出席し、そこで感じたことを一言。
 紫野高校といえば最近の話題は「綿矢りさ」さんで持ちきりですが、学校長の式辞の中で強調されたのは「自由と規律」との校風の紹介でした。周りからの圧力による規律ではなく、「それぞれが自分で考え納得した規律と、それに依拠した自由を大事にする」という伝統ある校風に私も共感を覚えました。
 それにしてもせっかくの入学式に水をさすのが「国歌斉唱」です。校門では教職員組合による「日の丸、君が代の押しつけに反対する」ビラが配布されていました。その中では「教職員が話し合って決定した式次第に反して、市教育委員会が強行を指示してきた」とのことです。
 そして式場には日の丸は掲揚されなかったものの、君が代斉唱は強行されました。私は妻とともに座りました。保育園時代の友人や小学校時代からの同級生の母親も座っていました。
 この記事を書いている時、隣のテレビでは、イラクで日本人がテロ組織に拘束され、「自衛隊の撤退を要求する。それをしなければ人質を殺す」との報道ニュースで持ちきりです。
 「とうとうおそれていたことが起こった」と思いました。「アメリカの占領支配を支援する自衛隊も一緒だ」とのイラク国民の思いが引き起こした事件であることはまちがいありません。テレビを見ている中二の息子も「小泉のアホが自衛隊を送るからや。殺されたらどう責任をとるんや」と怒っています。
 東京都教委、京都市教委などによる「日の丸・君が代」の押しつけと、イラクへの日の丸を掲げた自衛隊派遣の根っこは一緒です。「国民の命と憲法を守れ」との声を急いで巻き起こし、自衛隊の撤退を求めていきましょう。
 

2003年11月24日(祝)

 選挙も終わり、しばらくあいさつ回りや事務処理にとあわただしい日々をすごしていましたが、24日は選挙前から予定していた文化活動に没頭しました。
 まず朝は呉竹文化センターで企画された、映画「home」の上映会とトーク集会に妻と2人の子どもと一緒に参加しました。内容はけっこう衝撃的な映画で、7年間引きこもりしている兄の家庭内暴力と両親の怯えと葛藤をビデオカメラで撮影し続けた弟が監督として作製した映画です。これだけならままある企画ですが、映画の後に、なんと主演した引きこもりのお兄さん本人が登場してトークが開催されたのです。
 7年間を振り返りながら「優等生でスポーツもできる子が進学で失敗し、自分を肯定できなくなり引きこもったものの、7年間は決してムダではなかった」と静かに語られていたのが印象的でした。

 午後からは子どもたちと別れ、妻や友人たちと「わらび座ミュージカルつばめ」を鑑賞しました。ストーリーは、豊臣秀吉の朝鮮侵略により国土を踏みにじられ、多くの国民を拉致された朝鮮国が、徳川幕府の国交回復要請に応えて文化施設団(朝鮮通信使)がやってきた。主人公の使節団の一人が偶然発見したのは、戦争で水死したはずの妻であり、しかも日本人武士と結婚していた。二つの愛と二つの国のはざまで翻弄されるお互いの愛は最後悲しい結末を迎える。
 戦争という国と国との争いの中で引き裂かれた2人の愛を「つがいの燕」にたとえたのが題名の所以であり、テーマであったと思います。時あたかもイラク戦争が泥沼化しようとしている時、アメリカのイラク占領支配を支援するために日本の自衛隊が派遣されようとしている。派遣されれば殺されるかもしれないし、殺すかもしれない。もう二度と再び「悲劇の燕」をつくってはならない。そう深く感じたミュージカルでした。
2003年11月19日(水)

 今日は娘の萌の誕生日、8歳になりました。我が家の家族5人の誕生日は萌から始まります。12月が長女の結希、1月が母の洋子、2月が父の博文にと、3月が長男の夢斗です。
 今日は家族みんなで食事に出かけ、誕生日プレゼントに希望の青色のローラーシューズを買いました。前から友だちが持っていてとっても欲しかったシューズを手にしてとっても嬉しそうでした。
 食事に行ってご馳走を待っている間に、お兄ちゃんとお姉ちゃんからもプレゼントをもらいました。本人は予想もしていなかったらしく突然のプレゼントにびっくり!!。これまたとっても嬉しそうでした。

2003年8月12日〜16日

 今年も家族そろって恒例の広島への帰省と信州旅行に行きました。天候は残念ながら曇りと雨の天気で残念でした。
 広島ではおじいちゃん、おばあちゃんが孫の顔を見るのが楽しみで、顔を見るだけで喜んでくれました。2日目には近所のレクレーション施設に行き、中学1年の息子と釣堀で釣果を競いました。釣った数では勝ったものの大きさでは息子に負けました。内心ショックでした。
 広島から信州に向かう途中で長女が大阪でのコンサートに行くのでいったん別れて、残りで信州に向かいました。信州では河上さん家族、杉谷さん家族と八ヶ岳山ろくのペンションで合流しました。3日間とも霧雨と濃霧という天候で肌寒く、持ち込んだビールもなかなかなくならないくらいでした。ここでも2日目は近所のニジマスの釣堀に子どもたち3人を誘って行き、4人で2時間で36匹釣り上げました。私も30センチ級のを数匹釣り上げましたが、j引きの強さは抜群で思い切り堪能できました。釣った魚はその場で内臓を取り出し、持ち帰って翌日のバーベキューで食べました。とってもおいしかったです。
 近所の温泉(鹿の湯)に浸かったり、京都の知り合いが経営し、NHKテレビでもおなじみの「天才テレビくん」で子どもたちがつくった野菜畑や遊び小屋などがあるカナデイアンファームを訪問しました。少々寒かったけど、家族でゆっくりできてよかったです。



2003年7月7日(月)

 夢斗(長男・中1年生)がラグビーの部活練習中に右腕を骨折してしまいました。タックルを受けた時ににバランスを崩して、右腕をついた瞬間に「ボギツ」という音がしたそうです。痛くて声もでなっかとのこと。すぐに上京病院に行き、診察してもらうときには腕がパンパンに腫れていたそうです。
 簡易のギブスをして三角巾で腕をつっている様子には痛々しさが漂っています。服の着替えや、シャンプー、お風呂、ご飯、トイレなど毎日の日常生活すべてが今まで通りにできず、家族の支えと手伝いなしにはできなくなり「僕って、みんなに迷惑かけているんやなー」とつぶやき「障害を持っている人の気持ちがチョッとわかったような気がする」としみじみと語っていました。
 「そんなこと気にするなよ。人はお互いにみんなで支えあって生きていくもんなや。遠慮せずにまわりに頼ることも時には必要なんやで。父さんは、だから障害者を邪魔者とかかわいそうなんて思うこともないし、一緒に生きていく人だと思っている」と、話しました。ケガは不幸なことでしたが、それをきっかけに子どもと色々と話すいい機会になりました。これこそ「不幸中の幸い」というのでしょうか!?




2003年6月21(土)

 今日は、小学校2年の萌と友だちの七海ちゃんと一緒に、紫野小学校PTAの「パープルキッズ★プラザ」の企画で「お宝探し・街なか探検隊!」に参加し、楽しいひと時を過ごしました。
 この企画は、親子で探検マップ(左写真)を持って紫野校区にある珍しい所や物<お宝>を発見し、校区を見直しながら、途中で落ちているゴミを拾い環境美化にもつなげ、それらをポイントとして得点にして、楽しもうというものです。
 3人で汗かきながら、「へえー、こんな所にこんなんがあったんかー」と新発見し驚きながら回り、ゴミの多さ(特にポイ捨てのタバコ吸殻)に驚き、子どもたちと「大人のマナーが悪いなー」と憤慨し、拾いました。
 結果、総得点は2位でした。商品のトランプと貯金箱をもらって喜んで帰りました。
2003年5月18日(日)

 第11回キャンドルパレードに家族全員で参加しました。世界中に広がったこのパレードはエイズで亡くなられた人たちの人生をキャンドルの炎で思い起こし追悼し、彼らの存在をアピールするために始まりました。そして彼らを十分に理解できなかった社会に対して、エイズとの共生を訴えるためのものです。
 昨年は妻と2人だけの参加でしたが、今年は家族全員で参加しました。それでも中学生の長男と長女は照れて、車道ではなく歩道を歩き、小学2年生の萌が市役所前から円山公園まで一緒に歩きました(写真右)。
 このパレードには伏見区の佐藤和夫市会議員も家族で参加しています(左下の河童の着ぐるみが息子、右下は奥さんと佐藤市議と私)。
 パレードの後は祇園の「にんにくや」で家族で食事をして帰りました。

2003年5月5日(月)

 連休は広島と美山で過ごしました。3・4日は広島に行きました。なんと名神高速と中国自動車道を抜けるのに3時間以上かかり、疲れました。子どもたちは広島ではおじさんやおばさんとキャッチボールやテニスをしてもっらて大満足の様子でした。
 5日は美山の山小舎に友だち5家族と出かけ、バーベキューと釣りを楽しみました。
 3日間ともいい天気でいっぱい遊んだ連休でした。
2003年5月2日(金)

 子どもたちの家庭訪問がありました

 今日は家庭訪問デーでした。仕事の都合で3人そろって1日ですませました。
 最初は、長男の夢斗(中学1年)です。今までの小学生とちがって制服がまぶしい中学生です。クラブ活動は、これまでの野球少年からラグビー少年に変身しました。1日から部活動も始まり意欲満々です。担任の先生はクラス通信を毎日書いてくださいます。緊張気味の授業や学校の様子を聞きました。
 次は次女の萌(小学2年)です。髪の毛を切ってすっかりお姉さんらしくなった萌です。担任の先生は1年生からの持ち上がりで、すっかり子どもたちとも慣れ親しみ、いい感じです。クラスでの友だちづきあいの様子を詳しく聞き、クラス懇談会の希望を言いました。昨年の人権擁護啓発ポスターが、そのホームページでも紹介されていることを教えてもらい、早速一緒に見ました。(次の京都市長賞をクリック)
 最後は、長女の結希(中学3年)です。来年が高校受験なので、もっぱらその話に集中しました。学校の定期試験と内申書の兼ね合いや、学校から紹介されている学習センターでの学習会の内容なども聞きました。従来の地区児童だけのセンターが一般開放されて、だれでも利用できるようになってその真価が試されています。嘉楽中学と旭丘中学の現役の先生が放課後の時間を使って教えてくれるので、質問もしやすい環境にありますが、先生の労働強化にならないのか心配です。
 3人ともいい先生と友だちに恵まれ、今のところ学校が楽しくて機嫌よく通っています。

2003年4月14日(月)

 選挙の最中、8日の紫野小学校の個人演説会で友人の辻元さんが訴えた内容です

2003年3月20日・・・・この日は、忘れられない日となりました。そうです。イラク戦争突入の日です。そして、その日は、井坂さんの息子さんと私の息子の小学校の卒業式でもありました。子供たちの晴れの卒業式が行われる時刻は、ブッシュ大統領がイラクに突きつけた、3月18日の「最後通告」の期限が切れる48時間後でもありました。卒業式日和の暖かい日差しの朝、息子はぴかぴかの服を着て、ポーズをとっていました。子供の喜びとは反対に、テレビでは、「最後通告」が切れるこの日、戦争が起こるのかどうか、イラクとアメリカの動きを伝えるニュースがひっきりなしに流れていました。あの日同じように卒業式を迎えたお父さん、お母さんは、そのニュースを見ながら、こう思われたでしょう。子供たちの成長を喜ぶべき卒業式の日にどうか戦争が始まらないように・・・・と。

そして、その3月20日は、私の息子の12歳の誕生日でもありました。私は、母として、息子が誕生した3月20日を『イラク戦争開始の日』にしたくありませんでした。そんななか、卒業式が始まり、「国歌斉唱」となりました。
日本の子供たちは、平和の中で生き、こうして、卒業の喜びを味わっている・・・・・でも、この同じ時間、イラクの子供たちは、戦争の恐怖におびえている・・・・生まれた国がちがっているだけで、まったく違う時間を生きている・・・・・そう思ったとき、「君が代」は、絶対に歌えないと思いました。気がついたら、私は、席に座っていました。

もちろん、井坂夫妻は、席に座り、歌わない拒否の姿勢を表していました。井坂さんの息子さんは、「君が代」の歌詞の意味をちゃんとご両親から聞き、自分の考えで、歌わないと決めたそうです。それは、2年前のお姉ちゃんのときも同じです。井坂家の子供たちは、自分の考えを持っています。それは、井坂さんがいつも一人の人格として子供さんと向き合ってこられたからです。「君が代」の歌詞の意味を伝えても、それを歌うか歌わないかは本人が決める・・・・それが井坂家の子育て観です。そして、二人のお子さんは自分で歌わないと決めました。

井坂さんのお父さんは、広島で被爆されました。その日、井坂さんは卒業式の後のお別れ会を中座して、イラク戦争を即座に中止するよう、街頭で訴えに走りました。保育所や学校、学童などで井坂さんを知っている人は、うなずかれることですが、井坂さんは、どんなに忙しいときでも、子供さんの行事には、できるだけ参加しています。「家事も育児もパートナーと分かち合いたい、自分自身も楽しみながら取り組みたい・・・」そういう井坂さんの姿勢からでした。懇談のときは、周囲がお母さんばかりでも、それが自分の役割とひるんでいません。
そんな井坂さんが、卒業式後のお別れ会を抜けたのは、戦争中止を訴えなければ、いたたまれない気持ちだったのでしょう。

私が選挙運動を手伝いたいと思ったのは、そんな人としての姿勢です。井坂さんは人の痛みがわかり、それを政治に反映してくれる人です。去年のことですが、知人の息子さんが暴力をうけ、PTSDになる事件が起こりました。そのとき、どうすれば事件を解決できるか御両親や周囲の人とで話したのですが、手立てがまったくわかりませんでした。井坂さんに相談したところ、その方が北区以外の行政区に住んでいたにもかかわらず、迷わず力を貸してくれました。その子どもさんの心と体の痛みを 自分の子同様に思い、助けたいと行動を起こしたのです。井坂さんを動かしているものは、いつも人のために役立ちたいという思いです。

井坂さんは、お年寄りでも、子供でも、小さな意見でさえも、ひとりひとりの言葉に耳を傾け、一緒に考えてくれる人です。だから応援したいと思っています。選挙とは、その人のもっているものを見極め、選ぶということだと思います。私は今まで、政治は難しい、世の中はなかなか変わらないとあきらめていました。今も、政治は難しいと思いますが、その人の言葉に耳を傾け、考え方を知るということなら、私にもできると思いました。

 このままいくと、世界は、憎みあい、また大きな戦争につながらないかという恐れがあります。そんな事態は絶対に避けなければなりません。憎しみからは何も生まれない。命は絶対に守られなければならない。これまで、平和のためにあゆんでこられた井坂さんに、命を守るという大きな願いを託したいと私は強く思っています。


2003年3月20日(金)

今日は子どもの卒業式でした。そこで感じたことを一言、二言


 今日は小学校の卒業式でした。いつものことですが、色々と感じることがありましたのでひと言書きます。
@学校行事としては、卒業式ではなくて「卒業証書授与式」なんですね。だから「心を込めて卒業生を送り出す」 のではなく「厳粛な儀式」が優先され、卒業する子どもたちは「通算○○号」の冠がつけられ、紹介されるときは名前は呼び捨てされる、あくまでも卒業証書を授与される対象でしかないのです。そこには卒業生を主役とする位置づけはまったく感じられません。
Aそして卒業証書は元号であり、西暦は使われず、せめて市公文書でも使われている「元号・西暦の併用」との要望にもまったく応えられていません
Bいつもの「国歌斉唱」です。政府答弁でも「強制はしない」とあるのに、子どもたちの練習には管理職から「もっと元気よく、大きな声を出して」との歌唱指導が行われています。そして式当日は最初に「起立、開式」との司会の後に「国歌斉唱」となるので、歌いたくない人は「座る」という勇気を持った行動をしなければなりません。私の息子は自分で考えて「歌わなかった」と言っていました。そして私の友人は「イラク戦争が始まるかもしれない時に、君が代なんて歌えない」と座りましたが・・・
Cそれでも卒業生・在校生(5年生)による「お別れの言葉と歌」は自分たちの言葉でよかったです。難点を言えば、それぞれが舞台(そこには日の丸がある)に向かって呼びかける形式でしたが、せっかくやるのなら向かい合って対面式にしたらもっとよかったのに・・・
 そんなことを感じながら式が終わって、教室に戻って子どもたちが先生と保護者に「旅立ちの日に」を歌ってくれました。歌っている最中に感極まって泣き出す子どもたちを見て、担任の先生の心温かい励ましの言葉を聞いて、こちらも目頭が熱くなりました。その後に、先生から再度卒業証書の手渡しが行われました。それはちゃんと子どもたちの名前を一人一人、敬称をつけて心を込めて手渡してくれました。心の中で「さすが、やったね」と思いました。
 その後の「お別れ会」も子どもたちが自分たちで企画を練ってとても楽しいひと時でした。
 準備をされた卒対委員のみなさん、学級委員のみなさんご苦労様でした。そして担任の先生、一年間大変お世話になりましてありがとうございました。
 
2003年2月17日(月)

   バレンタインデーの余韻にひたっています

 14日は年に一度のバレンタインデー。我が家の二人の娘もがんばってチョコレートやチョコレートケーキをつくりました。
 萌(小1年)はお母さんに手伝ってもらってハート型のチョコレートを完成、私やお兄ちゃんにもプレゼントしてくれました。「義理チョコ」とわかっていてもうれしいものです(右の写真です)。しかし、肝心の本命の彼には恥ずかしくて渡せなかったそうで、少ししょげていました。かわいそう。
 結希(中2年)は、めったに立たない台所で悪戦苦闘しながら、見事なケーキを焼き上げ、23袋に分けて持っていきました。いわゆる「友チョコ」と言うのだそうです。私には端っこのかけらをくれました。その日と翌日からも毎日お返しのチョコやクッキーをもらって帰ってきます。
 唯一の男の子の夢斗は「幾つもらえるのかなー」と楽しみに学校に行きました。もらったチョコは味わうまもなく食べています。
 今も昔も変わらぬ青春の一こまです。「所詮、お菓子産業の販売促進キャンペーンさ」などと訳知り顔で無粋なことを言わずに、楽しそうにしている子どもたちを眺めています。


2003年2月12日(木)
   大文字駅伝で紫野小学校が見事9位入賞

 11日に市内小学校の大文字駅伝がありました。地元の紫野小学校はみんなの頑張りで見事9位入賞をかちとりました。私も1区の応援に千本北大路にいきました。あいにくの雨の中、一生懸命走る選手が本当に輝いて見えました。仲間のタスキをつないで走りきったみんながとってもかっこよかったです。
 私の息子(夢斗)はエントリーしたものの残念ながら本番には出場できませんでした。しかし、最後まであきらめることなく毎日試走を行い、私もそれに付き合い応援しました。夢斗は出場できなかったものの仲間の応援にがんばりました。そして9位に入賞したことを我がことののように喜んでいる夢斗を見て、私もうれしくなりました。
 その日の選手と保護者の打ち上げに参加したあと、KBSの放映を家族で見ながら、夢斗の頑張りを祝って家族で焼肉を食べました。夢斗、ご苦労様でした。夢斗もかっこよかったよ!!
 
2003年2月2日(日

 先週私のよく知っている方が三人亡くなられました。一人は柏野にお住まいの片桐さん、以前は東和企業組合の理事長も務められ,その頃から正月のご挨拶は欠かすことなくご自宅に伺っていました。私が議員になりたての頃は組合の新年会に「共産党も来て挨拶してくれや」と気軽に声をかけてくださり、みんなで伺って率直に意見交換をしたものでした。今年の正月も自宅を
訪問した際に元気な姿を拝見したところだったのに・・・・
 もうお一方は楽只学区にお住まいの新婦人の会員さんで党後援会員でもありました。昨年の地域の小集会にも来てくださって貴重な意見をくださいました。
 三人目は同じく楽只学区にお住まいの全盲の永井先生です。いつも奥さんと二人三脚で演説会や集会、懇談会に出席され、応援をいただいていました。現在進行中のライトハウス建て替えを心待ちにされていました。新年のご挨拶に伺ったとき、ちょうど休んでおられて会えなかったのが、心残りでした。
 三人とも4月の選挙の勝利をともに喜びたかったのに・・・心からお悔やみを申し上げます。安らかにお眠りください。
2003年1月27日(月)

 瞬く間に1ヶ月がたちました。このコーナーは私のプライベートのこと、生活の中で感じたことを自分の言葉で書きとめておこう、との思いで始めました。その時々にいろいろと感じることは多いのですが、ついつい忙しさにまぎれて書き損ねています。
 「日々の暮らしに忙殺されることなく、自分の感性を大切にしたい」と改めて考え、<ひと言日記>でも書き続けていこう、と思います。みなさんのメッセージもお寄せください。
 そこで、またまた娘の萌の話で恐縮ですが、先日こんな面白い話がありました(本人には内緒ですが・・・・)。今月の25日の初天神にお母さんとお参りに行った萌が、境内にある牛の頭をなでながら「萌ちゃんがいい子になりますように。お姉ちゃんが受験に受かりますように。お兄ちゃんが大文字駅伝に出れますように。お母さんが萌ちゃんといろんな所に旅行に行けますように。そしてお父さんが選挙に当選しますように」とお祈りしていたそうです。子どもながら家族のことをよく見ているなって、あらためて実感。その話を妻から聞いて、萌をぎゅっと抱きしめてあげました。

          

2002年12月16日(月)

 過日、お知らせしました私の娘(萌・紫野小1年)が人権啓発ポスター入賞し、その表彰式が15日、シルクホールで開かれました。
 生まれて初めての経験で、壇上で少々緊張気味の萌でした。
 表彰状を渡しているのは、市民局人権文化推進担当部長の明石さんです。
 本来の「人権」とは「人としての権利」であり、人権尊重の精神は「自分は自分らしく、みんなちがってみんないい」だと思います。それはお仕着せの研修では却って逆効果です。
 表彰式に出席しながらそのことを考え、わが娘には自分の力で「人権感覚」を身につけてほしい、と心から思いました。
 
 会場に展示されたポスターを前にして記念写真です。
 緊張がほぐれ、少々疲れた表情の萌です。
 
 この後に、遅い昼食を食べました。「お祝いに何食べよう?」と聞くとすかさず「きつねうどん」と答えが返ってきました。
 ホントきつねうどんが大好物の萌です。

2002年12月8日(日)

 今、我が家には風邪が大流行しています。まず私が第一弾の犠牲者でした。しかも決算委員会の局別審議と市長総括質問の最終版がピークでした。他人には「風邪をひいたら、ゆっくり休んで眠るのが一番の薬だよ」と言っているんですが、こと自分のことになると実践できません。委員会質問の資料の整理や、質問原稿の準備をしているとつい夜中の12時を回っています。そんなこんなでずーと風邪をひきずっています。みなさんのなかにもひかれている方がありましたら、早く休んで早く治しましょうね。
 私の次には、千週の木曜日に先日紹介した小学1年生の娘が、夕食後に突然「おなかが痛い」と言い出して、夕ご飯に食べたものを全部吐き出して、発熱です。翌日診療所に見てもらうと「風邪からくるウイルス性胃腸炎」でした。学校も休んで睡眠をたっぷりとって土曜日にはすっかり回復。若いだけに治りも早い。と、思っていたら今度は六年生の息子が今朝の明け方から同じ症状です。楽しみにしていたせっかくの少年野球の試合もキャンセルして、私のとなりでひたすら寝ています。
 「風邪は無理をするなとのシグナル」とよく言われます。「私がやらなければ誰がやる」とひたすらがんばっても体を壊したら元も子もありません。自分が思っているほど、自分しかできない仕事ってそんなにあるはずないんですよね。もっと自分を大切にして生きていきたいですね。

2002年11月19日(火)

 ようやくこのコーナーを開設できました。関係者のみなさんのご協力のおかげです。心から感謝申し上げます。
 さて、早速ですがびっくりしたお話を届けます。ナント私の娘(紫野小学校1年生)が京都人権啓発推進会議の2002年度人権擁護啓発ポスターコンクールにおいて京都市長賞に選ばれたのです(京都新聞11月16日付け三面)。ホントびっくりしました。「府内の小中高校から3,737点が寄せられた中での入選ですからすごいんです」と、教育委員会から聞かされてあらためてびっくりです。娘にたずねても「学校から何も聞いてへん」と、本人もおどろいていました。
 ポスターの内容はといえば、ともだちが手をつなぎ合って互いにみつめあっている様子を空から描いた絵です。先日の個人懇談会の時に担任の先生に「萌ちゃんがこんなの書かはったんですよ」と紹介されて「この表情や目線がいいんですよ」と誉められて、「やったね」と思ってはいたのですが、こんなことになるとは
・・・・・。
 私としては常日頃、娘に金子みすずの詩をつかって「みんなちがって、みんないいんだよ」「自分は自分らしく、自分を大切に」と話しているので、自分で考えてまわりのともだちを大切にする気持ちで書いたものなので喜んでいます。
 そこで、日曜日(17日)の夜、誕生祝い(19日で7歳)とあわせて家族みんなで食事に行って、ささやかなお祝いをしました。


         下の写真が、この度受賞した作品です。街頭啓発用のチラシやカレンダーに印刷されています



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