私のちょっと一言
| ●2011年6月26日(日) 広島で農作業と家族会議
●2011年6月10日(金) 子育て新システム反対マラソンスピーチ
●2011年6月4日(土) 議会改革が一歩前進
●2011年4月30日(土) 初めてのトロッコ列車と保津川下り
●2011年4月12日(火) 娘は料理が得意
●2011年2月11日(金) ファンクラブでの「井坂検定クイズ」に挑戦
●2011年1月17日(月) 沖縄の心
●2010年12月28日〜31日(金) 年末課題、年末丹後、そして広島
●2010年12月12日(日) 母の49日法要
●2010年11月14日(日) 京都まつりに1万人
●2010年10月31日(日) 母の死、合掌
●2010年9月26日(日) 母の入院
●2010年8月28日(土) 児童館夏祭りと同窓会
●2010年8月14日〜16日(月) 夏休みパート2…広島へ帰省
●2010年5月4日 連休使って農作業と山菜採りへ
●2009年12月31日 田舎の両親と弟と
●2009年12月20日 全国高校駅伝で母校世羅高校が優勝
●2009年11月22日(日) みどり祭りで古川豪さんとコラボ
●2009年11月4日(水) ダイナマイト騒ぎ
●2009年10月22日(木) 未来の食卓
●2009年9月23日(水) 大型シルバーウィーク
●2009年8月7日(金) ねっとわーく9月号をご覧になりましたか
●2009年6月26日(金) アルバイトのお金で父の日のプレゼント
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| 2008年12月28〜31日(水) 年末恒例の家族旅行に今年は全員参加
2008年11月3日(祝) 「伏見工業相手によくがんばった。いい試合だった」…最後の公式戦に拍手
2008年9月16日(火) 結婚記念日に子どもたちがケーキでお祝い
●2008年9月10日(水) いまどきの高校生もなかなかやるもんだ
2008年8月17日(日) あっという間の夏休み。今年も広島と信州へ
2008年7月27日(日) 膳所高校のラグビー練習場の近くにある食堂は「デカ盛り」で有名
2008年7月21日(祝) 友人のKさんの別荘(信州・駒ヶ根)はすぐれもの
2008年6月17日(火) 15日は「父の日」だったということを知ってましたか
2008年5月3日(土)〜5日(月) ゴールデンウィークは親孝行と農作業、山菜とりに広島へ
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![]() みんなとそろって「はいチーズ」 |
![]() お世話になったお礼の手作りのコースター |
| 卒業式の時期が来た。いつものことだが、この時期の市会は予算議会の真っ最中で、時間が取りにくい。しかし、今年は最愛の娘の卒業式でもあり、何とかしたいと思っていた。ちょうど団会議の日に当たり、団長に無理を言って午前中の時間をいただいて、式に参加した。みんな緊張しながらもはつらつと入場し、卒業証書をうけとっていた。 そこで感じた事がある。ひとつは卒業生の紹介の仕方である。通し番号で「第●●号、○○▽▽」という名前の読み上げ方はどうも違和感がある。やはり、日頃学校現場で教えているように、さんづけで名前を紹介する方がいいと思うのだが・・・・。 ふたつめに、市長や教育長の祝辞の紹介の仕方。過日の新聞でも報じられていたが、校長先生の卒業生に贈る言葉のあとに校長先生が読み上げるのだが、せっかくの先生の言葉が艶消しになってしまう。全校共通の祝辞なのだから、プリントにして配布するような配慮をしてもいいのではなかろうか。 そして、いつもの「国歌斉唱」である。国旗や国歌には様々な意見や思いがあるもの。だから文科省も「内心の自由にはふみこまない。強制しない」としている。しかし、「一同起立」のあとにそのまま「国家斉唱」となれば、着席するには決意と勇気がいる。ちなみに、私は来賓として壇上などで紹介される場合を除いて着席することにしている。 仕事が終わり帰ってみると、娘から「お母さん、お母さんへ」との手紙と、「お世話になりました」と手作りの紅白のコースターを貰った。学校でみんなで作ったらしいが、なかなかの気配りである。うれしかった。ありがとう。 |
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| 今年もバレンタインデーがやってきた。 6年生の娘が、お小遣いで「チョコマフィン」の材料を買って、一人でつくっていた。本命のチョコの前に、私の誕生日(10日) にもつくってくれた。説明書をみながら、手際よく作っているのを見て感心した。そして出来上がったマフィン(左写真)がなんとめっちゃおいしいかったのに、二度びっくり。本命の前の試作品とはいえ、うれしかった。 そして14日には本命のマフィンを作りながら、友クッキーも作っていた(右写真)。生地をこねて、延ばして、型をとって、卵の黄身を塗って、オーブンで焼いてできあがり。試食をさせてもらったが、これまた実においしかった。 できあがったのを、小分けして袋に詰めて、学校から帰ったあとに友だちといっしょに配達にまわっていた。実にほほえましいものだ。 |
| 2008年1月7日(月) 熱戦に感動。高校ラグビーにはまっている
2007年12月31日(月) 広島は大雪、今年初めての雪に子どもは大喜び
2007年11月18日(日) 娘の誕生日、ケーキとごちそうでお祝い。息子は高校ラグビーで準優勝
2007年9月15日(土) 娘は小学6年生、小学校最後の運動会
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| 小学六年生の娘は、家庭科で習ったばかりのポテトサラダを作ってくれた。 じゃがいもを細かく切って鍋でゆでながら、ゆでた卵の殻を上手にむいて、みじん切りに。キュウリは母に教えてもらいながら輪切りにしていく。そしてゆであがったじゃがいもをスプーンでつぶして、そこに先ほどのゆで卵ときゅうりをまぜあわせて、塩コショウとマヨネーズで味付けしてできあがり(写真)。 出来上がったポテトサラダをほおばると、本当にうまかった。しあわせを実感。 |
今年、大学に入ったばかりの娘はネクタイをプレゼントしてくれた(写真)。最近はクールビズでノーネクタイでいたが、さっそく次の公式行事にはこのネクタイをしめていこう。 息子は、今年はワインを休憩してポロシャツをプレゼントしてくれた(写真)。これは次のレジャーの機会に着ていこう。 このネクタイをポロシャツを見かけたらこえをかけてください。そこにはきっとにやけた私がいるでしょう。 |
| 2007年5月7日(月) 4日から6日まで広島の実家へ。山菜をどっさり収穫
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| この最近、5月連休は広島の実家に行っている。以前は三人の子どもと夫婦の5人で行っていたのだが、上の二人は民青の活動やクラブ活動で京都に残り、4日から6日まで末の娘と三人で行った。行きは混雑を想定して亀岡から丹波篠山に抜けて姫路から山陽自動車道に乗った。 大した渋滞や混雑もなく帰れ、迂回して大正解。 昨年から家の周りや近所の山菜採りにはまっている。今年は4月に暖かい日が多く、タラの芽が一週間遅かったのが残念。しかし、写真のような見事なのがけっこう採れた。さらに、ワラビ、ぜんまい、ふき、ヨモギ、をかごいっぱい収穫。さらに家の庭に植えてある山椒、みょうがもしっかりいただいた。 さらに、父が作った無農薬採れたての野菜と昨年の新米もお土産にもらって帰った。やはり持つべきものは親である。ただでもらってばかりでは親不幸なので、広島にいる間のおかずや外食代は我が家持ち。親父の好きな焼酎をお土産に持って帰ったのは言うまでもない。 帰りに昨年できた「世羅ワイナリー」に寄ってここでしか売っていない世羅ワインを購入。京都に戻り、友人に山菜やワインをおすそ分けして、我が家でも妻がさっそく料理し食べた。 とってもおいしかった・・・。 |
2007年1月21日(日) 今週号の京都民報を読みましたか?
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| つどいを記念して刊行された冊子に寄稿した私の拙文を紹介します 青春そのものであった府学連は永遠の思い出 1974年、広島から京都に出て来て立命館に入学した田舎者の私が学生運動に染まるのはあっという間だった。当時のクラス援助担当者(略して援担)の上回生に「一度、歌う会に来てみないか」と誘われて合唱団「若者」に入団し、クラス役員にも祭り上げられて、学生大会や自治会活動にのめり込んでいった。 そんな私に77年、三回生の夏に突然「今度の府学連大会で書記長になってくれ」と言われ、あれよあれよという間に大会の当日を迎えた。大会もクライマックス、最後は恒例の「国際学生連盟の歌(国学蓮)」の全員合唱。それをリードするのが大会で選出された書記長の初仕事である。しかし私はとっても緊張していた。リードを始めたものの「わが行く手を守れ・・・」の歌詞をなんとインターナショナルのメロデイーで歌っていた。一瞬会場はシーンと静まり返り、その後は爆笑の渦・・・。すっかり自信を失った私は、その後半年間は集会やデモ行進の集約集会の時の「国学蓮」をリードする仕事を書記次長にお願いした。忘れられない失敗談である。 任期中の思い出は数知れない。初めての女子大学へのオルグ、一万人の「春のビッグフェステイバル」、京大吉田グラウンドや円山音楽堂での5千人全京都学生集会でのアジテーション(どうもこの快感が今の仕事につながったのかも知れない)、勝共連合・ネズミ講・悪徳学生ローンの三悪追放運動(これも今の生活相談活動につながっている)、等々。そして78年の府知事選挙、蜷川さんの後継として杉村候補をたててたたかった。全学連大会で特別決議をあげて会場から全国の支援部隊も来た。府学連は宣伝と同時に当時革新勢力の最大の妨害者であった勝共連合と街頭で渡り合ったのも懐かしい思い出だ。 77年夏の大会で委員長に。任期は一年、結局5回生になるのは確実、しかしそれが当時の府学連では常識であった。そして翌78年の夏休み、キューバで開かれた世界青年学生平和祭典に京都代表で参加、初めての海外を経験した。そして劇的であったのは、その間に全国的に学生運動の課題とサイクルに見直しがおこなわれ、基本的に留年しないこと、任期の節目は年度末にすることが決まっていた!! 帰国後に大会を変更して評議委員会を開催して、府学連で初の委員長代理を置くことを決めて、書記長を代理にたてた。共産党の専従を決意していた私は民青同盟府委員会の仕事に異動し、79年春の府学連大会で正式に府学連を卒業した。 貴重な学生時代に様々な経験とドラマを体験した京都府学連は私の青春そのものである。 |
| 母の日と比べてもまったく陰の薄い「父の日」。だけどもわが家の生活は、父として私の存在がなければ成り立たない、と自負している(※自分で思いこんでいるから”自負”と言うのだろうが・・・)。 それでも、子どもたちから何らかのアクションがあると思っていたが、18日当日はナンの音沙汰もなし。下の娘に水を向けても「あ、忘れてたわ」との返事。 ところが翌日の夕食を食べていると、高校のクラブ活動を終えて返ってきた息子が「おとん、今年は去年よりグレードアップしたで」と言いながら、ぶっきらぼうにワインを差し出して来たではないか。これにはビックリ。 息子が言うには「近所の酒屋さんで、訳を話したら売ってくれはったわ」とのこと。去年もそこで買ったものの、500円のラベルが貼ってあったのは去年のこのページに書いてあるとおり。 今年は「もうちょっと高いヤツやで。白ワインで辛口のを聞いたら、これを勧めてくれはった」と自慢そうに話す息子に、「いい子どもをもったもんだ」と嬉しくなった。 同時に、今年も田舎の私のおやじに、焼酎を送ったことはいうまでもない。 |
自慢層にワインを掲げる私 |
卒業式の最後に卒業生の合唱 |
卒業生のみなさん、保護者のみなさん、ご卒業おめでとうございます。 早いもので、初めての制服に大きなリュックを背負って、わが子がこの体育館で入学式を迎えてから三年がたちました。希望をもって旅立つ卒業生のみなさんに心からエールを送ります。そして、三年間子どもたちを見守り、時には厳しく、時にはやさしく、のびのびと育てていただいた先生方に心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。 今、日本の子どもをとりまいている教育や社会は多くの課題を持っています。国連子どもの権利委員会は、日本政府への勧告のなかで、「極度に競争的な教育制度によるストレスのため、子どもが発達のゆがみにさらされている」とする批判をよせています。世界でも異常な競争と管理中心の教育が、子どもの心と成長を傷つけ、「勝ち組・負け組」の言葉まで生まれています。そのなかで、自分の存在を肯定できず、認めることもできずに悩み、苦しんでいる子どもが増えています。 このようなときに、嘉楽中学の子どもたちは三年間のかけがえのない中学生活やクラブ活動を通して多くの先生や友と出会い、学び、成長することができました。二年前に卒業した娘が今でも「中学校は、友達関係も授業もとても楽しかった」と懐かしそうにふりかえっています。 「一人一人の生徒に対し,個に応じた能力の伸長をはかり」「将来の夢を実現するために自らを磨き続けられる人間の育成」をめざすという本校の教育目標が、生命力を発揮するのはこれからです。未来の主権者として一人ひとりの子どもの発達と成長を何よりも大切にしていただき、卒業生がいつでも遊びに来たくなる学校と先生であり続けていただくようお願いいたします。 卒業生のみなさん。みなさんに「みんなは一人のために、一人はみんなのために」ということばを送り、みなさんがいつまでもあなたらしさを発揮し、大事にして、これからの人生において活躍されることを願いまして保護者を代表しての謝辞といたします。 |
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「バレンタインってしょせんチョコレート会社の宣伝さ」って無粋なこと言わずに・・・と書いたのは三年前の今日だった。 当時小学一年生だった娘が今年はもう四年生。その娘がお母さんと相談してチョコレートのプレゼントをくれた。 袋の中にはプチチョコ、それぞれにアルファベットが書いてあって、並べ替えるとなんと「I・L・O・V・E・Y・O・U」になるもの。なかなか考えたもの、嬉しくもあり感激。 皿の中は、娘のつくったチョコケーキ。セットを買ってきて、作り方の説明書を見ながら、分からないところはお母さんに聞いてオーブンで焼きあげたもの。おっかなびっくりで一口食べたところ、なんとおいしい!児童館や学校で手作りおやつをつくっているとは聞いていたが、けっこうやるもんだ。 |
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| いよいよ、私も50歳!!半世紀を生きてきたことになり感無量である。かつて10代、20代の頃、周りの大人を見ていて自分が50歳になることのイメージが持てず、青春を謳歌してことが懐かしい。 しかし、50年も生きていると体のあちこちが痛んでくる。病院とのおつきあいも増えてくる。しかし、宮本顕治さんの保健思想ではないが、日本共産党を職業としているうえで社会の民主的変革をめざす者として、自分の体と健康に責任を持つことは、有権者と国民への責任でもある。定期的な診察と検査を今後も続けたい。 昨年、日本共産党市会議員団が発足して50周年となり、12月にはその祝賀会を開催した。私の人生と同じ時間を過ごしてきた党議員団に、今所属していることは私の誇りでもある。その任務をまっとうしていくために、次の50年を一歩一歩歩いていきたい。写真は妻の手料理と私の肉じゃが(左)と三人の子どもがつくったケーキ(右) みなさんよろしくお願いします。 |
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今年の冬は歴史的な豪雪にみまわれ、東北や信州では大被害が発生し、連日の報道に心を痛めている。 そんな中で申し訳ないが、年末に故郷に里帰りし、裏庭に積もった雪を見て、久しぶりにかまくらを作りたくなり、子どもに声かけて作業にとりかかり、写真のものが完成した。 意外だったのは、日頃はクールを装っている中三の長男が「俺に任せとけ」とばかりに、途中から一人で完成させるまですっかりはまってしまったこと。 正月明けには、萌と親友の七海ちゃんを連れて三人で今京都で公演中の木下大サーカスに行った。数年前にも行ったが、今回は「スーパーミネラルイルージョン」と称してずいぶん充実していて予定の2時間があっという間にたった。ライオン・とら・ヒョウ10頭が競演する猛獣ショーや7bのキリン、4頭のシマウマによるサファリスペクタルはヨーロッパからの特別出演。ピエロはアメリカ、空中アクロバットはロシアからも特別参加。 他にも大奇術やバイクショーには歓声をあげ、空中ブランコには手に汗を握り、しっかり引き込まれていた。 終わってから、子ども達は「おもしろかったね。○○がよかったと口々に語り、興奮気味に喜んでくれた。 |
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| わが地元紫野学区の新婦人が開いた「国産小麦を100%使ったパン試食会」がわが家で開かれ、私も特別参加した。 家族ぐるみの友人である阪野さん(右の写真の女性)を講師に、ボールに小麦と水を混ぜ合わせて手でこねる作業を開始。「やっぱり男の人がこねるとよく締まるね」とおだてられ、単純な私はすっかりその気になってボールに勢いよくたたきつけながら「手ごねハンバーグ」の要領で娘と共同してパン生地を完成(左写真)。 その後は専門家にまかせ、私は地域の活動に参加。2時間ほどこくた衆議院議員らと宣伝行動にでて帰ると、おいしそうなパンとケーキに変身していた(右写真)。 「日本の大地から安心して食べられる食品を」と頑張っている新婦人や農民連のみなさんに感謝しながら、パンをかみしめたことは言うまでもない。 |
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今日は父の日。インターネットの情報によれば「父の日は節分よりも知られていない陰の薄い」日だそうである。 さよう朝から何の話題にもならず、あせってこちらから「今日は何の日jか知っている?」と水を向けると「ああそうやったっけ、忘れていたわ」とつれない返事。 それでも小学生の娘は「赤旗しんぶん」の「まんまる団地」の「見えないネクタイ」をプレゼント?一緒に大笑いをした。 せめて夕食は特別に、と回転寿司(特別でもないか・・・)に。帰ってしばらくすると息子が「ほれ、父の日のプレゼント」とワインをくれた。受け取ってラベルをよくみると、「500円」の価格シールが目に入った。しかし値段ではない。気持ちが嬉しかった。 こんな子ども達に囲まれた私は幸せ者である。 そうそう、田舎に住む私の父にも大好物の焼酎を送ったことは言うまでもない。 |
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| 5月の連休以降、5月市会や「党躍進大運動」などでまともに休みがとれていなかったので、思い切って(というのも本来はおかしいのだが)一日休暇をとって妻と一緒に箱舘山へドライブとハイキングに行って来た。 山歩きの専門家である議員団事務局長の馬場さんから「今の時期はここのカキツバタが最高だよ」と教えてもらって箱舘山にした。事前の天気予報では70%の降水確率だったが、「天はわれに味方した」とばかりに南方の梅雨前線が高気圧に抑えられて北上できず、見事に天気予報ははずれて、絶好のハイク日和。 本来はスキー用に設置してあるゴンドラで頂上まで上がってそこから歩く予定だったが、入り口にはなんと「6月13日から7月15日まで運転休止」の張り紙!!そこで林道を車で走って頂上近くの「ビラデスト今津」に直行して、そこに車を置いていざハイキングへ。歩いて15分ほどのところに「平池」があり、群生するカキツバタが見事に咲き乱れていた(写真左)。ちょうどお昼になり、そこで妻特製のお弁当で腹ごしらえ。やっぱり外でたべるのはうまい。 その後は、ビラデスト敷地内のハイキングコースを2時間ほど散策。木漏れ日のなかを気持ちよい汗をかきながら歩くと多少のアップダウンも苦にならないのは不思議。しかも途中でキツネや親子連れのサルにであってビックリ。 頂上を後にして林道をしばらく走ると「処女湖」がある。なぜ「処女湖」という名前をつけたのかわからないまま横を走り抜けると、突然前方にカモシカがいるではないか!!車を止めて驚かせないように写真を撮った(写真右)。写真真ん中の岩の左側にカモシカの姿が写っているのがわかるだろうか。 さらに朽木まで走って、温泉「てんくう」に到着。10年ほど前になるが温泉ができたはじめの頃、町内会のみなさんと一緒に行ったことがあるが、その頃とくらべてずいぶん施設も広くなり、プールや休憩所、レジャー施設も作られて見違えるほどになっているのにビックリ。温泉で汗を流して、疲れた体を癒すことができた。 やはり、日頃の仕事や生活とメリハリをつけてりフレッシュすることは大事である。仕事や生活に新たな意欲がわいてくる。また日頃何かとすれ違いが多く、ゆっくり会話できない夫婦の対話にもなる。みなさんもどうですか? |
| 夕暮れの美観地区で(娘がカメラマン) | 3日の早朝6時に京都を出発し、名神〜中国道〜山陽道を経由して倉敷に着いたのは9時。近くのパーキングに車を入れてさっそくチボリ公園に。連休中につき開園時間がちょうど9時だったので、グッドタイミングでした。高速道路や鉄道駅からのアクセスも便利なのはいいとしても、デンマークのチボリ公園を真似たものといいながら、子どもの遊園地という感じで遊ぶには手頃だけれども、テーマパークとしてはいまいちというのが率直な実感。それでも夕方まで、ジェットコースターや飛行機、空中ブランコや観覧車、ボートなど結構子どもは楽しんで遊び、大人は買い物に。 その後は、倉敷市内の美観地区を見学。白壁に黒い瓦と落ち着いた雰囲気は最高、が観光客が多くて若干興ざめ。視察でも二度来たことがありますが、それでも借景も遠景も工夫して美観を保存している努力には行政と住民に頭が下がる思い。これと比べて、船岡山南のマンション問題を見た場合、ずいぶん遅れているなと改めて痛感。 美観地区を後にして、一路広島の実家に向かい、9時過ぎに実家に到着し、今日の日程は終了。ビールを飲んで「お休みなさい」。 |
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早いもので、私の子ども三人の最後の学童生活が終わった。 紫野児童館の学童クラブは、保護者会の活動も活発で私も長年保護者会会長や書記などの役員をつとめてきた。 学童クラブは両親が共働きの小学生が放課後の生活を安全に過ごすための施設であると同時に、親が安心して仕事ができるありがたい施策である。 それとともに、保護者会のとりくみや児童館の行事をつうじて多くの友だちやつながりができたのも大きな財産であった。子育ての悩みや喜びというものは、この時期にしか味わえないものだし、それを共感できる友人をもlてるのもこの時期でしかない。これからも大事にしていきたい。 その思いをもって、今年から学童クラブOB会(約50人)の会長を引き受けることになった。 写真は卒館生が共同で作成した切り絵(持っているのはお世話になった館長先生) |
| 嘉楽中学二年生の長男はラグビー部に入って毎日汗と泥まみれになっている。嘉楽中学といえば、かつてはY先生という鬼顧問がいて伏見工業高校に何人も進学する子がいる一方で、いろいろと不協和音も聞こえていたものであった。いわゆる「スポ根」の典型であった。それが、今は若い先生が顧問になり体罰とか強制とかとはいっさい無縁のクラブへと生まれ変わっている。そして支え役として保護者会が唯一あるクラブである。 その保護者会が三月のこの時期には卒業式を前後して、ラグビー部の卒業式ともいうべき「卒部式」を行うのが伝統となっている。これも昔は、ホテルを会場にしてOBを招待してかなり派手にやっていたそうであるが、今は学校を会場にして(したがってノンアルコール)、部員と保護者の手づくりの式になっている。しかし、顧問の先生から卒業生についてお祝いと激励の言葉が贈られ、一人ずつ三年間の思い出と進学にあたっての決意をつたない言い方だが自分の言葉で述べていくのは感動的である。それが下級生の部員の頑張りに繋がっていくのである。 その前に部員と保護者とのミニ試合が行われるのが、これまた伝統になっている。私はラグビーはテレビで観戦し、息子からルールを耳かじりしているだけの門外漢である。その私が、経験者の保護者と一緒にチームをつくり、現役の部員と試合をするのだから、それこそ「なんとかの冷や水」である。15分ハーフの試合だが、とにかくボールにさわるのが精一杯、パスを前にしたり、タックルされてひっくり返ったり、息子からは「二度と来るな」と言われるし散々であった。しかし、肩で息をしながらでも体を動かすスポーツはいいものだ。来年は息子の卒部式である。密かにトレーニングしてまた試合に出ようかと思っている。 |
| 毎日の日課で小3年生の娘とお風呂に入っているときの話。 突然、娘が「お父さん、萌のこと好きか?」と聞くので「大好きだよ。でもなんでそんなこと聞くの?」と聞き返すと、「だって、さっきお母さんとお姉ちゃんとお兄ちゃんと三人で百人一首やって遊んでいるとき、お父さんだけパソコンでお仕事していたから」とぽつり。 「そんなことないよ。こうやってお風呂に一緒に入っているやろ」と言うと、「お風呂は遊びとちがうもん」と言う。 「参った」の一言。子どもは自分の目線でまわりを見ていることを忘れていた。苦笑いしながら「お風呂を上がったらトランプしようか」と言うと、嬉しそうに「うん」と答えた。 約束通りその後、布団の上でトランプをしたのは言うまでもない。「ポーカー」に「大富豪」と時間のたつのを忘れて遊んだ。娘は結構つよくて、何回かトップに立って「やったー」と喜んでいる。その笑顔を見ながら、「子育ては教えることばかりではなくて、いっしょに遊ぶことも大事」とあらためて思った。 逆に、子どもに教えられたひと時であった。 |
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今日は成人式。子どもの通う小学校の「おやじの会(略称:パープルキッズ・プラザ)」主催の企画が取り組まれ、私も役員として参加しました。今回で今年4回目の企画で、父親の交流にもなり、子ども達も楽しみにしずいぶん定着しています。今日は50人をこえる子ども、10人のお父さん、20人近いお母さんが参加しました。 まず最初の企画として、学校から鴨川までのランニングです。お父さんが主要な交差点で交通整理しながら往復3・2`を走り、河川敷では北大路橋と出雲路橋を回る3・5`のタイムレース。私もフルコースを走りきり、学校に戻ったときには膝がガクガクでした。一緒に参加した娘(萌)は、練習なしに走ったのが響いて途中で無念のリタイア。 帰った学校にはお母さん達が作った「餅入り豚汁」が用意され、子ども達は次々とおかわりし、私も二杯食べました。とってもおいしかったです。 そして10歳になる4年生に「1/2成人式」として特製カード(同じマンションに住む方と私とで作りました)とお菓子をプレゼント。子ども達はとっても喜んでくれました。 |
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| 9月18日に小学校の運動会があった。萌は二学期が始まり練習の時から「100b競争と障害物競走で絶対1位になる」と宣言し頑張っていた。その気持ちに応えるべく当日はPTA役員の関係もあり親ばかよろしく夫婦で見学にいった。宣言どおり両方とも見事1着でゴール(左写真は障害物競走でのゴール寸前の玉入れのシーン) 1位になったこともうれしいが、目標をもってがんばりそれをやり遂げた萌に何よりも拍手を送りたい。昼からは仕事で中座したところ、三時過ぎに会議中に萌から携帯に電話。何事かと休憩時間にかけ直すと「あんな、萌の白組な最後に逆転して勝ったで。バイバイ」との報告。よかったね! 25日には児童館の行事で、「敬老の日」にちなんで「ふれあい卓球大会」があった。その日は新婦人の恒例の稲刈りであったが、大の親友が卓球大会に参加するので母からの誘いを振り切って卓球大会を選んだ萌。毎日練習を重ね期するものもあったのだろう。その親友が早々と敗れてしまったものの、がんばって4位に入った。そして館長先生から特別賞をもらった(右写真)。児童館から帰ってとっても嬉しそうに報告してくれた。同時に親友が負けたことにも心を寄せて「本当は強いんやで」としきりにかばっていました。がんばり屋で友だち思いの萌に拍手!! |
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「子どもと性について語り合っていますか」と聞かれ、どれだけ自信を持って「いる」と答えることができるだろうか。 子どもと向き合って子育てをしているつもりでも、自分の成育過程での負のイメージが強く、自分の殻をうち破って子どもに語りかけるのは難しい。しかも正しい知識を持ち、自分の言葉でしゃべることに躊躇する親が多い。かくいう私もそうである。 その意味で今回の学習会は一つのきっかけになった。まずこのテーマで親どうしが一堂に会して話を聞くこと、自分の思いをその場で語ること、まず自分をさらけ出すことから始めること、が求められるからである。 講師の先生から「子どもが最初の精通経験した時にどう話しかけるのか、恋人ができたとき相手の心と体を思いやるためにもコンドームの使い方を教えるのはお父さんの出番」と言われた。正直「まいったな」と思った。その気持ちを素直に口に出して質問してみた。参加していた父親の顔もうなずいて見えた。 まずできるところから始めてみよう。講師も言っていた「性という字は、人と生が一緒になったもの。心が生きると書いて性と読む」の言葉が印象的だった。親と子がその気持ちで話し合えば、巷で起きている心の痛むような事件は無くなるではないか。そう感じることのできる学習会だった。 |
| 上の子二人は初めての飛行機を体験し、石垣島に到着 | 早速「グラスボート」に乗って珊瑚礁とお魚を見学。この珊瑚礁を壊して米軍飛行場の建設は許せません |
石垣島最大の鍾乳洞を見学。1ミリ伸びるのに3年かかると言います。自然の壮大さに驚きました。同時にこのような鍾乳洞が戦争中は「避難壕」になっていました |
途中にとってもきれいなハイビスカスを見て、思わずパチリ |
沖縄本島最南端の岬にある平和の塔 |
ひめゆり平和祈念館をゆっくり見学。戦争の愚かさと「沖縄を守るため」と言いながら、沖縄の住民を盾にした軍部に家族そろって怒りました |
地球が丸いということを実感できる水平線です |
石垣島から本島に移動する際の上空から見た沖縄 |
| 2004年5月5日(水) 今年の5月連休は2日から4日まで広島に行きました
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| 2004年4月8日(木) 長らくご無沙汰しています。きょう4月8日は小・中学校、高校の入学式です。 長女の結希(ゆうき)が入学した紫野高校の入学式もあり、妻と一緒に出席し、そこで感じたことを一言。 紫野高校といえば最近の話題は「綿矢りさ」さんで持ちきりですが、学校長の式辞の中で強調されたのは「自由と規律」との校風の紹介でした。周りからの圧力による規律ではなく、「それぞれが自分で考え納得した規律と、それに依拠した自由を大事にする」という伝統ある校風に私も共感を覚えました。 それにしてもせっかくの入学式に水をさすのが「国歌斉唱」です。校門では教職員組合による「日の丸、君が代の押しつけに反対する」ビラが配布されていました。その中では「教職員が話し合って決定した式次第に反して、市教育委員会が強行を指示してきた」とのことです。 そして式場には日の丸は掲揚されなかったものの、君が代斉唱は強行されました。私は妻とともに座りました。保育園時代の友人や小学校時代からの同級生の母親も座っていました。 この記事を書いている時、隣のテレビでは、イラクで日本人がテロ組織に拘束され、「自衛隊の撤退を要求する。それをしなければ人質を殺す」との報道ニュースで持ちきりです。 「とうとうおそれていたことが起こった」と思いました。「アメリカの占領支配を支援する自衛隊も一緒だ」とのイラク国民の思いが引き起こした事件であることはまちがいありません。テレビを見ている中二の息子も「小泉のアホが自衛隊を送るからや。殺されたらどう責任をとるんや」と怒っています。 東京都教委、京都市教委などによる「日の丸・君が代」の押しつけと、イラクへの日の丸を掲げた自衛隊派遣の根っこは一緒です。「国民の命と憲法を守れ」との声を急いで巻き起こし、自衛隊の撤退を求めていきましょう。 |
| 2003年11月24日(祝) 選挙も終わり、しばらくあいさつ回りや事務処理にとあわただしい日々をすごしていましたが、24日は選挙前から予定していた文化活動に没頭しました。 まず朝は呉竹文化センターで企画された、映画「home」の上映会とトーク集会に妻と2人の子どもと一緒に参加しました。内容はけっこう衝撃的な映画で、7年間引きこもりしている兄の家庭内暴力と両親の怯えと葛藤をビデオカメラで撮影し続けた弟が監督として作製した映画です。これだけならままある企画ですが、映画の後に、なんと主演した引きこもりのお兄さん本人が登場してトークが開催されたのです。 7年間を振り返りながら「優等生でスポーツもできる子が進学で失敗し、自分を肯定できなくなり引きこもったものの、7年間は決してムダではなかった」と静かに語られていたのが印象的でした。 午後からは子どもたちと別れ、妻や友人たちと「わらび座ミュージカルつばめ」を鑑賞しました。ストーリーは、豊臣秀吉の朝鮮侵略により国土を踏みにじられ、多くの国民を拉致された朝鮮国が、徳川幕府の国交回復要請に応えて文化施設団(朝鮮通信使)がやってきた。主人公の使節団の一人が偶然発見したのは、戦争で水死したはずの妻であり、しかも日本人武士と結婚していた。二つの愛と二つの国のはざまで翻弄されるお互いの愛は最後悲しい結末を迎える。 戦争という国と国との争いの中で引き裂かれた2人の愛を「つがいの燕」にたとえたのが題名の所以であり、テーマであったと思います。時あたかもイラク戦争が泥沼化しようとしている時、アメリカのイラク占領支配を支援するために日本の自衛隊が派遣されようとしている。派遣されれば殺されるかもしれないし、殺すかもしれない。もう二度と再び「悲劇の燕」をつくってはならない。そう深く感じたミュージカルでした。 |
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2003年11月19日(水) 今日は娘の萌の誕生日、8歳になりました。我が家の家族5人の誕生日は萌から始まります。12月が長女の結希、1月が母の洋子、2月が父の博文にと、3月が長男の夢斗です。 今日は家族みんなで食事に出かけ、誕生日プレゼントに希望の青色のローラーシューズを買いました。前から友だちが持っていてとっても欲しかったシューズを手にしてとっても嬉しそうでした。 食事に行ってご馳走を待っている間に、お兄ちゃんとお姉ちゃんからもプレゼントをもらいました。本人は予想もしていなかったらしく突然のプレゼントにびっくり!!。これまたとっても嬉しそうでした。 |
| 2003年8月12日〜16日 今年も家族そろって恒例の広島への帰省と信州旅行に行きました。天候は残念ながら曇りと雨の天気で残念でした。 広島ではおじいちゃん、おばあちゃんが孫の顔を見るのが楽しみで、顔を見るだけで喜んでくれました。2日目には近所のレクレーション施設に行き、中学1年の息子と釣堀で釣果を競いました。釣った数では勝ったものの大きさでは息子に負けました。内心ショックでした。 広島から信州に向かう途中で長女が大阪でのコンサートに行くのでいったん別れて、残りで信州に向かいました。信州では河上さん家族、杉谷さん家族と八ヶ岳山ろくのペンションで合流しました。3日間とも霧雨と濃霧という天候で肌寒く、持ち込んだビールもなかなかなくならないくらいでした。ここでも2日目は近所のニジマスの釣堀に子どもたち3人を誘って行き、4人で2時間で36匹釣り上げました。私も30センチ級のを数匹釣り上げましたが、j引きの強さは抜群で思い切り堪能できました。釣った魚はその場で内臓を取り出し、持ち帰って翌日のバーベキューで食べました。とってもおいしかったです。 近所の温泉(鹿の湯)に浸かったり、京都の知り合いが経営し、NHKテレビでもおなじみの「天才テレビくん」で子どもたちがつくった野菜畑や遊び小屋などがあるカナデイアンファームを訪問しました。少々寒かったけど、家族でゆっくりできてよかったです。 |
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| 2003年7月7日(月) 夢斗(長男・中1年生)がラグビーの部活練習中に右腕を骨折してしまいました。タックルを受けた時ににバランスを崩して、右腕をついた瞬間に「ボギツ」という音がしたそうです。痛くて声もでなっかとのこと。すぐに上京病院に行き、診察してもらうときには腕がパンパンに腫れていたそうです。 簡易のギブスをして三角巾で腕をつっている様子には痛々しさが漂っています。服の着替えや、シャンプー、お風呂、ご飯、トイレなど毎日の日常生活すべてが今まで通りにできず、家族の支えと手伝いなしにはできなくなり「僕って、みんなに迷惑かけているんやなー」とつぶやき「障害を持っている人の気持ちがチョッとわかったような気がする」としみじみと語っていました。 「そんなこと気にするなよ。人はお互いにみんなで支えあって生きていくもんなや。遠慮せずにまわりに頼ることも時には必要なんやで。父さんは、だから障害者を邪魔者とかかわいそうなんて思うこともないし、一緒に生きていく人だと思っている」と、話しました。ケガは不幸なことでしたが、それをきっかけに子どもと色々と話すいい機会になりました。これこそ「不幸中の幸い」というのでしょうか!? |
| 2003年6月21(土) 今日は、小学校2年の萌と友だちの七海ちゃんと一緒に、紫野小学校PTAの「パープルキッズ★プラザ」の企画で「お宝探し・街なか探検隊!」に参加し、楽しいひと時を過ごしました。 この企画は、親子で探検マップ(左写真)を持って紫野校区にある珍しい所や物<お宝>を発見し、校区を見直しながら、途中で落ちているゴミを拾い環境美化にもつなげ、それらをポイントとして得点にして、楽しもうというものです。 3人で汗かきながら、「へえー、こんな所にこんなんがあったんかー」と新発見し驚きながら回り、ゴミの多さ(特にポイ捨てのタバコ吸殻)に驚き、子どもたちと「大人のマナーが悪いなー」と憤慨し、拾いました。 結果、総得点は2位でした。商品のトランプと貯金箱をもらって喜んで帰りました。 |
2003年5月18日(日)
第11回キャンドルパレードに家族全員で参加しました。世界中に広がったこのパレードはエイズで亡くなられた人たちの人生をキャンドルの炎で思い起こし追悼し、彼らの存在をアピールするために始まりました。そして彼らを十分に理解できなかった社会に対して、エイズとの共生を訴えるためのものです。
昨年は妻と2人だけの参加でしたが、今年は家族全員で参加しました。それでも中学生の長男と長女は照れて、車道ではなく歩道を歩き、小学2年生の萌が市役所前から円山公園まで一緒に歩きました(写真右)。
このパレードには伏見区の佐藤和夫市会議員も家族で参加しています(左下の河童の着ぐるみが息子、右下は奥さんと佐藤市議と私)。
パレードの後は祇園の「にんにくや」で家族で食事をして帰りました。
2003年5月2日(金)
2003年5月5日(月)
連休は広島と美山で過ごしました。3・4日は広島に行きました。なんと名神高速と中国自動車道を抜けるのに3時間以上かかり、疲れました。子どもたちは広島ではおじさんやおばさんとキャッチボールやテニスをしてもっらて大満足の様子でした。
5日は美山の山小舎に友だち5家族と出かけ、バーベキューと釣りを楽しみました。
3日間ともいい天気でいっぱい遊んだ連休でした。
子どもたちの家庭訪問がありました
今日は家庭訪問デーでした。仕事の都合で3人そろって1日ですませました。
最初は、長男の夢斗(中学1年)です。今までの小学生とちがって制服がまぶしい中学生です。クラブ活動は、これまでの野球少年からラグビー少年に変身しました。1日から部活動も始まり意欲満々です。担任の先生はクラス通信を毎日書いてくださいます。緊張気味の授業や学校の様子を聞きました。
次は次女の萌(小学2年)です。髪の毛を切ってすっかりお姉さんらしくなった萌です。担任の先生は1年生からの持ち上がりで、すっかり子どもたちとも慣れ親しみ、いい感じです。クラスでの友だちづきあいの様子を詳しく聞き、クラス懇談会の希望を言いました。昨年の人権擁護啓発ポスターが、そのホームページでも紹介されていることを教えてもらい、早速一緒に見ました。(次の京都市長賞をクリック)
最後は、長女の結希(中学3年)です。来年が高校受験なので、もっぱらその話に集中しました。学校の定期試験と内申書の兼ね合いや、学校から紹介されている学習センターでの学習会の内容なども聞きました。従来の地区児童だけのセンターが一般開放されて、だれでも利用できるようになってその真価が試されています。嘉楽中学と旭丘中学の現役の先生が放課後の時間を使って教えてくれるので、質問もしやすい環境にありますが、先生の労働強化にならないのか心配です。
3人ともいい先生と友だちに恵まれ、今のところ学校が楽しくて機嫌よく通っています。
2003年4月14日(月)
選挙の最中、8日の紫野小学校の個人演説会で友人の辻元さんが訴えた内容です
2003年3月20日・・・・この日は、忘れられない日となりました。そうです。イラク戦争突入の日です。そして、その日は、井坂さんの息子さんと私の息子の小学校の卒業式でもありました。子供たちの晴れの卒業式が行われる時刻は、ブッシュ大統領がイラクに突きつけた、3月18日の「最後通告」の期限が切れる48時間後でもありました。卒業式日和の暖かい日差しの朝、息子はぴかぴかの服を着て、ポーズをとっていました。子供の喜びとは反対に、テレビでは、「最後通告」が切れるこの日、戦争が起こるのかどうか、イラクとアメリカの動きを伝えるニュースがひっきりなしに流れていました。あの日同じように卒業式を迎えたお父さん、お母さんは、そのニュースを見ながら、こう思われたでしょう。子供たちの成長を喜ぶべき卒業式の日にどうか戦争が始まらないように・・・・と。
そして、その3月20日は、私の息子の12歳の誕生日でもありました。私は、母として、息子が誕生した3月20日を『イラク戦争開始の日』にしたくありませんでした。そんななか、卒業式が始まり、「国歌斉唱」となりました。
日本の子供たちは、平和の中で生き、こうして、卒業の喜びを味わっている・・・・・でも、この同じ時間、イラクの子供たちは、戦争の恐怖におびえている・・・・生まれた国がちがっているだけで、まったく違う時間を生きている・・・・・そう思ったとき、「君が代」は、絶対に歌えないと思いました。気がついたら、私は、席に座っていました。もちろん、井坂夫妻は、席に座り、歌わない拒否の姿勢を表していました。井坂さんの息子さんは、「君が代」の歌詞の意味をちゃんとご両親から聞き、自分の考えで、歌わないと決めたそうです。それは、2年前のお姉ちゃんのときも同じです。井坂家の子供たちは、自分の考えを持っています。それは、井坂さんがいつも一人の人格として子供さんと向き合ってこられたからです。「君が代」の歌詞の意味を伝えても、それを歌うか歌わないかは本人が決める・・・・それが井坂家の子育て観です。そして、二人のお子さんは自分で歌わないと決めました。
井坂さんのお父さんは、広島で被爆されました。その日、井坂さんは卒業式の後のお別れ会を中座して、イラク戦争を即座に中止するよう、街頭で訴えに走りました。保育所や学校、学童などで井坂さんを知っている人は、うなずかれることですが、井坂さんは、どんなに忙しいときでも、子供さんの行事には、できるだけ参加しています。「家事も育児もパートナーと分かち合いたい、自分自身も楽しみながら取り組みたい・・・」そういう井坂さんの姿勢からでした。懇談のときは、周囲がお母さんばかりでも、それが自分の役割とひるんでいません。
そんな井坂さんが、卒業式後のお別れ会を抜けたのは、戦争中止を訴えなければ、いたたまれない気持ちだったのでしょう。私が選挙運動を手伝いたいと思ったのは、そんな人としての姿勢です。井坂さんは人の痛みがわかり、それを政治に反映してくれる人です。去年のことですが、知人の息子さんが暴力をうけ、PTSDになる事件が起こりました。そのとき、どうすれば事件を解決できるか御両親や周囲の人とで話したのですが、手立てがまったくわかりませんでした。井坂さんに相談したところ、その方が北区以外の行政区に住んでいたにもかかわらず、迷わず力を貸してくれました。その子どもさんの心と体の痛みを 自分の子同様に思い、助けたいと行動を起こしたのです。井坂さんを動かしているものは、いつも人のために役立ちたいという思いです。
井坂さんは、お年寄りでも、子供でも、小さな意見でさえも、ひとりひとりの言葉に耳を傾け、一緒に考えてくれる人です。だから応援したいと思っています。選挙とは、その人のもっているものを見極め、選ぶということだと思います。私は今まで、政治は難しい、世の中はなかなか変わらないとあきらめていました。今も、政治は難しいと思いますが、その人の言葉に耳を傾け、考え方を知るということなら、私にもできると思いました。
このままいくと、世界は、憎みあい、また大きな戦争につながらないかという恐れがあります。そんな事態は絶対に避けなければなりません。憎しみからは何も生まれない。命は絶対に守られなければならない。これまで、平和のためにあゆんでこられた井坂さんに、命を守るという大きな願いを託したいと私は強く思っています。
2003年3月20日(金)
今日は子どもの卒業式でした。そこで感じたことを一言、二言
そんなことを感じながら式が終わって、教室に戻って子どもたちが先生と保護者に「旅立ちの日に」を歌ってくれました。歌っている最中に感極まって泣き出す子どもたちを見て、担任の先生の心温かい励ましの言葉を聞いて、こちらも目頭が熱くなりました。その後に、先生から再度卒業証書の手渡しが行われました。それはちゃんと子どもたちの名前を一人一人、敬称をつけて心を込めて手渡してくれました。心の中で「さすが、やったね」と思いました。
今日は小学校の卒業式でした。いつものことですが、色々と感じることがありましたのでひと言書きます。
@学校行事としては、卒業式ではなくて「卒業証書授与式」なんですね。だから「心を込めて卒業生を送り出す」 のではなく「厳粛な儀式」が優先され、卒業する子どもたちは「通算○○号」の冠がつけられ、紹介されるときは名前は呼び捨てされる、あくまでも卒業証書を授与される対象でしかないのです。そこには卒業生を主役とする位置づけはまったく感じられません。
Aそして卒業証書は元号であり、西暦は使われず、せめて市公文書でも使われている「元号・西暦の併用」との要望にもまったく応えられていません
Bいつもの「国歌斉唱」です。政府答弁でも「強制はしない」とあるのに、子どもたちの練習には管理職から「もっと元気よく、大きな声を出して」との歌唱指導が行われています。そして式当日は最初に「起立、開式」との司会の後に「国歌斉唱」となるので、歌いたくない人は「座る」という勇気を持った行動をしなければなりません。私の息子は自分で考えて「歌わなかった」と言っていました。そして私の友人は「イラク戦争が始まるかもしれない時に、君が代なんて歌えない」と座りましたが・・・
Cそれでも卒業生・在校生(5年生)による「お別れの言葉と歌」は自分たちの言葉でよかったです。難点を言えば、それぞれが舞台(そこには日の丸がある)に向かって呼びかける形式でしたが、せっかくやるのなら向かい合って対面式にしたらもっとよかったのに・・・
その後の「お別れ会」も子どもたちが自分たちで企画を練ってとても楽しいひと時でした。
準備をされた卒対委員のみなさん、学級委員のみなさんご苦労様でした。そして担任の先生、一年間大変お世話になりましてありがとうございました。
2003年2月17日(月)
バレンタインデーの余韻にひたっています
14日は年に一度のバレンタインデー。我が家の二人の娘もがんばってチョコレートやチョコレートケーキをつくりました。
萌(小1年)はお母さんに手伝ってもらってハート型のチョコレートを完成、私やお兄ちゃんにもプレゼントしてくれました。「義理チョコ」とわかっていてもうれしいものです(右の写真です)。しかし、肝心の本命の彼には恥ずかしくて渡せなかったそうで、少ししょげていました。かわいそう。
結希(中2年)は、めったに立たない台所で悪戦苦闘しながら、見事なケーキを焼き上げ、23袋に分けて持っていきました。いわゆる「友チョコ」と言うのだそうです。私には端っこのかけらをくれました。その日と翌日からも毎日お返しのチョコやクッキーをもらって帰ってきます。
唯一の男の子の夢斗は「幾つもらえるのかなー」と楽しみに学校に行きました。もらったチョコは味わうまもなく食べています。
今も昔も変わらぬ青春の一こまです。「所詮、お菓子産業の販売促進キャンペーンさ」などと訳知り顔で無粋なことを言わずに、楽しそうにしている子どもたちを眺めています。
2003年2月12日(木)大文字駅伝で紫野小学校が見事9位入賞
11日に市内小学校の大文字駅伝がありました。地元の紫野小学校はみんなの頑張りで見事9位入賞をかちとりました。私も1区の応援に千本北大路にいきました。あいにくの雨の中、一生懸命走る選手が本当に輝いて見えました。仲間のタスキをつないで走りきったみんながとってもかっこよかったです。
私の息子(夢斗)はエントリーしたものの残念ながら本番には出場できませんでした。しかし、最後まであきらめることなく毎日試走を行い、私もそれに付き合い応援しました。夢斗は出場できなかったものの仲間の応援にがんばりました。そして9位に入賞したことを我がことののように喜んでいる夢斗を見て、私もうれしくなりました。
その日の選手と保護者の打ち上げに参加したあと、KBSの放映を家族で見ながら、夢斗の頑張りを祝って家族で焼肉を食べました。夢斗、ご苦労様でした。夢斗もかっこよかったよ!!
| 2003年2月2日(日) 先週私のよく知っている方が三人亡くなられました。一人は柏野にお住まいの片桐さん、以前は東和企業組合の理事長も務められ,その頃から正月のご挨拶は欠かすことなくご自宅に伺っていました。私が議員になりたての頃は組合の新年会に「共産党も来て挨拶してくれや」と気軽に声をかけてくださり、みんなで伺って率直に意見交換をしたものでした。今年の正月も自宅を 訪問した際に元気な姿を拝見したところだったのに・・・・ もうお一方は楽只学区にお住まいの新婦人の会員さんで党後援会員でもありました。昨年の地域の小集会にも来てくださって貴重な意見をくださいました。 三人目は同じく楽只学区にお住まいの全盲の永井先生です。いつも奥さんと二人三脚で演説会や集会、懇談会に出席され、応援をいただいていました。現在進行中のライトハウス建て替えを心待ちにされていました。新年のご挨拶に伺ったとき、ちょうど休んでおられて会えなかったのが、心残りでした。 三人とも4月の選挙の勝利をともに喜びたかったのに・・・心からお悔やみを申し上げます。安らかにお眠りください。 |
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2003年1月27日(月) 瞬く間に1ヶ月がたちました。このコーナーは私のプライベートのこと、生活の中で感じたことを自分の言葉で書きとめておこう、との思いで始めました。その時々にいろいろと感じることは多いのですが、ついつい忙しさにまぎれて書き損ねています。 「日々の暮らしに忙殺されることなく、自分の感性を大切にしたい」と改めて考え、<ひと言日記>でも書き続けていこう、と思います。みなさんのメッセージもお寄せください。 そこで、またまた娘の萌の話で恐縮ですが、先日こんな面白い話がありました(本人には内緒ですが・・・・)。今月の25日の初天神にお母さんとお参りに行った萌が、境内にある牛の頭をなでながら「萌ちゃんがいい子になりますように。お姉ちゃんが受験に受かりますように。お兄ちゃんが大文字駅伝に出れますように。お母さんが萌ちゃんといろんな所に旅行に行けますように。そしてお父さんが選挙に当選しますように」とお祈りしていたそうです。子どもながら家族のことをよく見ているなって、あらためて実感。その話を妻から聞いて、萌をぎゅっと抱きしめてあげました。 |
| 2002年12月16日(月) 過日、お知らせしました私の娘(萌・紫野小1年)が人権啓発ポスター入賞し、その表彰式が15日、シルクホールで開かれました。 生まれて初めての経験で、壇上で少々緊張気味の萌でした。 表彰状を渡しているのは、市民局人権文化推進担当部長の明石さんです。 本来の「人権」とは「人としての権利」であり、人権尊重の精神は「自分は自分らしく、みんなちがってみんないい」だと思います。それはお仕着せの研修では却って逆効果です。 表彰式に出席しながらそのことを考え、わが娘には自分の力で「人権感覚」を身につけてほしい、と心から思いました。 |
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会場に展示されたポスターを前にして記念写真です。 緊張がほぐれ、少々疲れた表情の萌です。 この後に、遅い昼食を食べました。「お祝いに何食べよう?」と聞くとすかさず「きつねうどん」と答えが返ってきました。 ホントきつねうどんが大好物の萌です。 |
| 2002年12月8日(日) 今、我が家には風邪が大流行しています。まず私が第一弾の犠牲者でした。しかも決算委員会の局別審議と市長総括質問の最終版がピークでした。他人には「風邪をひいたら、ゆっくり休んで眠るのが一番の薬だよ」と言っているんですが、こと自分のことになると実践できません。委員会質問の資料の整理や、質問原稿の準備をしているとつい夜中の12時を回っています。そんなこんなでずーと風邪をひきずっています。みなさんのなかにもひかれている方がありましたら、早く休んで早く治しましょうね。 私の次には、千週の木曜日に先日紹介した小学1年生の娘が、夕食後に突然「おなかが痛い」と言い出して、夕ご飯に食べたものを全部吐き出して、発熱です。翌日診療所に見てもらうと「風邪からくるウイルス性胃腸炎」でした。学校も休んで睡眠をたっぷりとって土曜日にはすっかり回復。若いだけに治りも早い。と、思っていたら今度は六年生の息子が今朝の明け方から同じ症状です。楽しみにしていたせっかくの少年野球の試合もキャンセルして、私のとなりでひたすら寝ています。 「風邪は無理をするなとのシグナル」とよく言われます。「私がやらなければ誰がやる」とひたすらがんばっても体を壊したら元も子もありません。自分が思っているほど、自分しかできない仕事ってそんなにあるはずないんですよね。もっと自分を大切にして生きていきたいですね。 |
| 2002年11月19日(火) ようやくこのコーナーを開設できました。関係者のみなさんのご協力のおかげです。心から感謝申し上げます。 さて、早速ですがびっくりしたお話を届けます。ナント私の娘(紫野小学校1年生)が京都人権啓発推進会議の2002年度人権擁護啓発ポスターコンクールにおいて京都市長賞に選ばれたのです(京都新聞11月16日付け三面)。ホントびっくりしました。「府内の小中高校から3,737点が寄せられた中での入選ですからすごいんです」と、教育委員会から聞かされてあらためてびっくりです。娘にたずねても「学校から何も聞いてへん」と、本人もおどろいていました。 ポスターの内容はといえば、ともだちが手をつなぎ合って互いにみつめあっている様子を空から描いた絵です。先日の個人懇談会の時に担任の先生に「萌ちゃんがこんなの書かはったんですよ」と紹介されて「この表情や目線がいいんですよ」と誉められて、「やったね」と思ってはいたのですが、こんなことになるとは・・・・・。 私としては常日頃、娘に金子みすずの詩をつかって「みんなちがって、みんないいんだよ」「自分は自分らしく、自分を大切に」と話しているので、自分で考えてまわりのともだちを大切にする気持ちで書いたものなので喜んでいます。 そこで、日曜日(17日)の夜、誕生祝い(19日で7歳)とあわせて家族みんなで食事に行って、ささやかなお祝いをしました。 |
下の写真が、この度受賞した作品です。街頭啓発用のチラシやカレンダーに印刷されています

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